ネパールに鉄道が復活!

2022年4月4日 

ネパールの鉄道が再開通というニュースです。

 

1937年にインドからジャナクプルまで鉄道が作られました。地図右下の赤線部分です(地図拡大できます)。その後、点線部分まで延伸されましたが、2014年からインドの路線幅に合わせる(広軌)鉄道工事が開始。先日4月2日に、やっと赤線の実線部分が開通したそうです。

 

ちなみに、1950年代までは地図の左側の点線位置、インドのラクソウルからネパールのビルガンジまで50kmくらいの鉄道があったそうです。カトマンズまで伸ばす予定だったらしいですが、頓挫となったようです。

 

そういえば、中国がネパールに鉄道を通す、というニュース、最近流れてきませんね。チベットからランタン地域を経由してカトマンズまで鉄道を通すということですが。それについては過去ブログをどうぞ⇒エベレストに穴をあける

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ヒマラヤ山麓の大気汚染

2021年8月6日
コロナ蔓延でWHO(世界保健機関)の発表を連日聞いていたのは去年ころ?なぜか、ここのところ、減ってますね。もうWHOの出る幕ではなくなった、ということでしょうか?
そんなWHOが、大気汚染の統計「World Health Statistics 2021」を出しました。PM2.5の濃度による、世界都市の汚染度ランキングです。
なんと、第一位はネパール!!カトマンズ盆地の排ガス汚染は1980年代から、深刻になりました。盆地という地形と排ガス規制のない自動車の増加が主原因です。海外からの支援で電気自動車の乗り合いタクシーも一時多く走っていましたが、3年前に見た所ではあまり見かけなかったような気がします。。。
写真は2004年のカトマンズの街角。電気の乗り合いタクシーです。
■過去ブログ■
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ひさしぶりのネパール語講座

2020年8月3日 

ひさしぶりのネパール語講座 開講中です。みなさん、初めて学ぶ方々です。

 

講師の清水直美さんは、医療分野の国際協力でネパールに赴任し、活動してきました。アシスタントのリンキーさんは、最近来札した、ネパール語を母語とするチェトリ族の方です。ネパールでは、公用語はネパール語なんですが、コミュニティや家庭では、各民族の言語が使われるという不思議な社会です。

 

サパナで初めてネパール語講座をやったのは、1999年のこと。当時、ネパール人留学生が多く、彼らに講師をしてもらいました。開講前に新聞記事になったこともあり、応募者が60人!!あわてて、クラスをわけて会場探しをしたこともなつかしい^^;その後も留学生に講師をしてもらってましたが、今回は日本人の講師。講座を聴いて、日本人が覚えるときのコツがちりばめられていて、なるほどと思わされてます^_^。

 

現在は日ネ間の渡航ができない状態ですが、今回の受講生の方々が少し上達したころには、なんとか飛行機再開、なってほしいですね!

 

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ネパール航空新規直行便

2020年3月1日

 

明日3月2日に、ネパール航空の成田-カトマンズ直行便が就航です。

去年、関空-カトマンズ便が就航したはずなんですが、あっけなく終了したようですね。

それにしても、帰国便の出発時間01:25というのは、疲労困憊の中、たいへんですよね・・・

便名 出発(日本時間) 到着
RA434 成田/13:00 カトマンズ/18:25(21:40)
RA433 カトマンズ/01:25(04:40) 成田/11:00

でも、インチョン、香港乗り継ぎが、やはり安いんでしょうね。

パタンの金物店
パタンの金物店
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東ネパール・イラムで9・11同時多発テロ

2019年9月11日

2001年9月11日東ネパールのイラムという町にいました。私たちは安宿の14インチ白黒テレビで、高層ビルから人形のようなものがバラバラと落ちている情景を見ていました。

その時のブログです。

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ネパールのバンダ再来?

2019年7月29日
外務省から渡航注意の情報が出ました。なんと、カトマンズを含む地域でバンダが計画されている!と。バンダは、商店の営業休止、通行止めなどをマオイストが強要するものです。96年のマオイスト蜂起から07年、国王が退陣するまで全土で続いたものですが、それがまた再来するとは!!
 
 2000年の年末に行ったツアーでも、バンダに鍛えられました。到着日にバンダが始まり、ツアー行程の順番を急遽逆にすることに!それでもナガルコットからの帰路は通行止め。中腹からチャングナラヤン、バクタプールまでをのんびりと歩くことに。でも、普通は車で通りすぎてしまう道々や集落での出会いもあり、塞翁が馬ともなりました。写真は、チャングナラヤンからバクタプールへの途中、ここに暮らす母親と姉妹と。  
 バンダの理由は、マオイストチャンド派のメンバーが献金強要で逮捕されたこと・・らしいです。でも、現政権はネパール共産党、つまりマオイストです。相変わらずよくわからないネパール。
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在ネパール日本国大使館
 当館が入手した情報によれば、マオイストチャンド派(Biplav group)が7月31日(水)終日、ネパールのBagmati、Narayani、Janakpur(Ramechhap、Dolakha)地域においてバンダ(ゼネラルストライキ)を行う予定があります。バンダの名目は、マオイストチャンド派リーダーやメンバーの逮捕に対する抗議であるとのことです。
 バンダにおいては、一部交差点や主要幹線道路において、車やバイクによる交通が妨害される可能性があります。過去には車が燃やされたり、投石を受けたりするなど過激化した例も確認されていることに加え、今回のバンダでも警察を標的とする可能性があります。また、今回のバンダは地域が限定されて行われる予定とのことですが、Bagmati地域には首都カトマンズも含まれており、その他の地域への影響も予想されますので、当日は十分注意してください。https://www.anzen.mofa.go.jp/od/ryojiMailDetail.html?keyCd=74228
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ネパール直行便 やっと再開かも!

17年前 カトマンズの空港
17年前 カトマンズの空港

2019年2月13日

去年、関空~ネパール直行便が再開!とのニュースがありました。そのブログ記事

 

先日の航空業界系のwebニュースによると、どうやらそれが現実になるようです。いつからかは情報がのっていませんが、ネパール航空側は、関空周辺のホテル(スタッフ利用)に公募をかけたようです。

 

便数は週14便となっていますので、毎日運航ということですね。でもそんなに需要あるんでしょうか??

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2018年の北海道の地震

2001年ネパール舞踊公演 厚真町
2001年ネパール舞踊公演 厚真町

2019年1月25日

 

2018/9/6の北海道地震から4か月半たちました。

 

2001~2003年にネパール舞踊公演や絵画プログラムを厚真町でも開催しました。その開催、受入の中心メンバーだった厚真町コメ農家のKさん家族も被災しました。来日メンバー、日本スタッフなど大人数を泊めてもらったあの住宅も住めなくなり、米の刈り取りもできなかったとのことです。
地震後、来日時10~16歳だった生徒たちから励ましのメッセージ送ってもらい、Kさん家族に届けました。小中学生だった彼らももう、子どもを持つ年齢となっていました。
2015年のネパール大地震の時には、Kさん含め日本側のメンバーたちから支援金を送りましたが、それから3年後にこんな状況になるとは・・・来年の豊作を祈るばかりです。
写真は2001年ネパール舞踊公演 厚真公演 『Jhagad』ネパール南部に住むマジの踊り。マジは、川の漁を生業とするカーストの人々。
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ネパール直行便就航??

2018年7月1日

 

今年6月、日ネの航空協議で直行便を認める話し合いが行われたそうです。
関空-カトマンズ直行便は2007年に廃止になり、その後は従来のタイ乗り継ぎ、新たにできた韓国乗り継ぎ路線となりました。千歳からは仁川乗り継ぎで宿泊不要(帰国のみ機中泊)となっています。
今回の話し合いでは、利用空港を増やすことになりました。日本は羽田以外の全空港、ネパールは国内の全空港ということです。いつ頃就航という具体的日程はまだ出ていません。
中韓ツーリストにおされ、日本人の影が薄くなっている現状ですが、今後どうなっていくのやら?

 

写真:仁川からカトマンズへ向かう。雲南省とミャンマーの境目あたり。今年2月

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米朝首脳会談とグルカ兵

今日は、年表に残る米朝首脳会談。

そのたくさんのニュースの中に、なぜかグルカ兵の記事がありました。え?シンガポールにグルカ兵?と思ったんですが、英国の植民地だった名残が残ってるんですね。記事抜粋を下に載せます。

 

写真はいまだ地震の被害が残るゴルカの街並み(2018年2月撮影)

時事ドットコム抜粋

 

首脳警護にネパール人部隊=山岳民族「グルカ兵」
 12日に行われる米朝首脳会談の舞台となるシンガポールは治安の良さで知られるが、さらに会場に最高レベルの警備態勢を敷くのが警察のネパール人精鋭部隊だ。両首脳らVIPに指一本触れさせまいと、鋭い目を光らせる。

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仁川のトランジットツアー

2018年5月29日
今年2月のネパールは韓国乗り継ぎでした。帰りの仁川乗り継ぎは13時間あったので、無料トランジットツアーに参加しました。空港発着5時間コースで、景福宮→仁寺洞街に行きました。韓国人の添乗員が英語でガイドしてくれます。ただ、見学地では入り口までの案内で「自由散策なので、1時間くらい後にバスに戻ってね。」という感じです。戻らない場合は、バスは出発するそうです。
どこを見学するのか全くわからないまま参加したんですが、仁寺洞の味のある迷路小路もさまよってこれて、いい旅のおまけができました。
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エベレスト・ベースキャンプ

夕日のエベレスト
夕日のエベレスト

2018年5月25日

エベレストは、南側のネパールと北側のチベットにベースキャンプ(BC)があります。

 

ベースキャンプは登山の出発点に設営するキャンプです。ネパール側は標高5364m、ルクラ飛行場から歩き始めて1週間以上かかりますが、観光ツアー客もかなり訪れます。チベット側は5150m、こちらも観光ツアーがあるそうです。ところがなんと、BCまで車道が通っているということを先週知りました!なんとなく複雑な気持ちです・・。

写真のエベレストは、古いですが2003年1月、シャンボチェから。

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インドがネパールの水力発電受注

今日、こんな経済系ニュースが出ていました。

 

【インドの国営電機大手バーラト重電機(BHEL)は1日、ネパールで発電容量が90万キロワット(kW)の水力発電所を受注したと発表した。事業費は53億6,000万ルピー(約88億円)。完成すればネパールで最大の水力発電所になるという。】

 

去年、(親インドと言われた)前政権は中国と契約していた発電所工事を破棄しました。今年はじめ、(親中と言われる)新政権が誕生しました。で、素人目には、また契約を中国に戻すのかなどと思ってたのですが、上のニュースの通りインドと契約したと。

 

両大国にはさまれたネパール外交、単純な構図では考えられないようです^^。

写真:搭乗客と遊ぶカトマンズ空港の警察犬

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ネパールの観光客

バクタプールの被災住宅 2018年2月
バクタプールの被災住宅 2018年2月

2017年のネパールの観光客数が、過去最多となったそうです。94万人!大地震から3年、

人々の不安も少しづつ薄らいできています。

 

でも、まだ波板トタンの仮設住宅に住み続けざるを得ない人たちもいます。写真は今年2月のバクタプール。被災住宅の手前に仮設住宅が見えます。

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国境封鎖2ヶ月の中ティハールतिहार

街路をうめるランプ
街路をうめるランプ

ネパールは、11/9(西暦)から光の祭りティハールतिहार。街のいたるところに灯がまたたきます。


初日はカラスの日、2日目は犬の日と続き今日11日はラクシュミ・プジャの日。女神ラクシュミを家に招き入れる日。13日のダイ・ティカまで続くダサイン同様ネパールのとても大切な祭りです。

一方、9月にインドからのガソリン、医療品などがストップしてから2ヶ月。国境封鎖がいまだ続いているとのこと。4月、5月の大地震で医薬品が欠乏している状況に、追い討ちです。


ティハールの犬の日の写真をみました。頭をティカ(祝福の赤い粉)で真っ赤にして首にはマリーゴールドの花輪をかけられて祝福された犬。お祈りの後、ご馳走にありついている犬と、それを笑顔でみている人々。一つのニュースだけではわからないネパールが見えました。


写真:ティハールではないのですが、パタンの祭りで街路をうめるランプ


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ネパール新憲法 抗議活動広がる

パタンの露店
パタンの露店

先月、ネパール西部で新憲法への抗議活動が起きているニュースがありました。今日の旅行会社系のニュースによれば、講義活動は東部にまで広がってるようで、外務省の安全情報の危険度レベルがあがりました。1997年当時のマオイスト時代に戻ってしまったようですね。地震で観光客が激減した窮状の追い打ちになってしまう。。。






-------ニュース元 トラベルビジョン
外務省、ネパールで渡航情報一部引き上げ、憲法案めぐり対立    2015年9月14日(月)
 外務省はこのほど、ネパールの東部、中部、西部の一部について、海外安全情報のレベルをレベル1の注意喚起からレベル2の「不要不急の渡航は止めてください」に引き上げた。対象となるのは極西部のカイラリ郡、中部のパルサ郡、バラ郡、ラウタハト郡、サルラヒ郡、マハッタリ郡、ダヌシャ郡の一部、東部のシラハ郡、サプタリ郡の一部。

 同国では現在、新憲法草案における州境の取り扱いなどをめぐり、不満を抱く政党や民族グループ、宗教グループなどが各地で激しい抗議活動をおこなっているところ。同省はこれらの勢力と治安部隊との衝突に旅行者が巻き込まれる可能性などを懸念し、今回のレベル引き上げを決定したという。

 なお、観光客に人気の高いカトマンズ、ポカラ、ルンビニなどは今回のレベル引き上げ対象地域には含まれていないが、引き続きレベル1の「注意喚起」に指定されている。

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ネパール新憲法に反対する民族

数日前、ネパール新憲法が決まったというニュースがネット上に流れていました。(現在消えてしまってる・・・)パタンの知人に問い合わせてみると、「まだ途上。草案に反対してストライキが起きている地域もある。」とのことでした。どうやら、まだもめてるようです。

ネパールは、全土を7つの州に分け、それぞれがある権限を持つ連邦民主共和国になる予定です。

そしておとといこんなニュースが。インド国境に接するカイラリで現地民族が、自分たちの民族固有の州を作ることを求め、警官と衝突したそうです。カーストの低い民族が多く、中央からは無視されがちな民族の鬱憤が吹き出たようです。

写真:カイラリから東方250kmのルンビニ夕景

 

-------------ニュース転載----------------
デモ隊が警官7人を殺害、新憲法めぐり混乱 ネパール 2015年8月25日 CNN.co.jp

カトマンズ(CNN) ネパール西部で24日、新憲法制定に反対するデモ隊が警官隊を襲撃し、少なくとも7人の警官が死亡した。襲撃に関連して、子ども1人も死亡しているという。
事件の起きたインド国境に接するカイラリ地区では同日、数千人がデモに参加。21日から当局が設置していた「進入禁止地帯」に入り込むと大勢で警官を取り囲み、襲い掛かったとみられる。地区の当局者はCNNの取材に対し、デモ隊は草刈り鎌やおのなどを使っていたと説明。襲撃中に、子どもも1人殺されたと述べた。
ゴータム内相は議会で、デモ隊によって生きたまま焼かれた警官が1人いたと発言。襲撃は事前に計画されたものだとして、治安維持のため軍隊を出動させる意向を示した。
デモ隊に死傷者が出たとの報告はない。
ネパールは2008年に連邦共和制に移行したが、新憲法における州の区分をめぐって与野党が対立し、正式な憲法のない状態が続いている。国内の主要政党は全土を7州に分割することを盛り込んだ憲法草案を議会に提出したが、カイラリ地区周辺に住む少数民族などがこれに反対。抗議デモを行って民族固有の州の設置を訴えていた。

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ネパールのパスポートに第三の性

地震復興のさなかのネパールから、ん~ん・・・と思わせるニュースが流れてきました。


今年1月の最高裁判決に従ったものだそうですが、その迅速な対応には驚き!!です。新憲法を7年かけても決められない国のこととは思えません。



--------ニュース転載--------
ネパールが"第3の性"を認めるパスポートを発行 性別欄に「O」
THIRD GENDER PASSPORT

ネパール政府は8月10日、性的マイノリティのために「第3の性別」を設けたパスポートを初めて発給した。
このパスポートでは、性別欄は「O」と記載されている。この性別欄「O」パスポートを最初に受け取ったネパール人は、トランスジェンダーの人権活動家、モニカ・シャヒ氏だ。
「これはとても歓迎すべき出来事です。ネパールの性的マイノリティすべてが、自分自身を認めてもらうための、とても大きな第一歩といえるでしょう」と、ネパールの英字新聞ヒマラヤン・タイムズ紙にシャヒ氏は語っている。
自分を「男性」とも「女性」とも区分されたくない人たちのために、性別欄を「Other(その他)」の頭文字である「O」と記載したパスポートを発給することを、ネパール政府は2015年1月に発表していた。


つづきはこちら

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ネパール人難民認定~続き

 前回ブログ で、ネパール人初の難民認定について書きました。

 

元国王派のネパール人夫妻が、反国王派から迫害をうけ来日。5年かかって難民認定を受けたという朝日新聞のニュースを元にしました。

 

ニュース

朝日新聞デジタル4/24

朝日新聞デジタル5/29

 

迫害側のマオイスト(毛沢東主義は)は2006年の王制廃止後、他政権とも和合し政権にもつきました。つまり、認定の理由になる状況はとうに無くなってるはずなのに、なぜ???

 

ということで、あるネパールの人に聞いてみたところ、こんな返事でした・・・

「調査不足の日本側が悪い。現在の状況で、国王派だったというだけで迫害されることはあり得ません。」

 

この夫妻は2010年に認定申請をした際、「和平プロセスは進んでいる」とのことで却下されたそうです。当時はマオイスト含めた新憲法制定の議会が進んでいたので当然といえます。それなのに5年たって受理された理由は何なんでしょう??現在、内戦中のシリア人4人が難民認定を却下され、認定訴訟を起こしている状況を見てもどうも腑に落ちない・・・

 

写真:ネパール大地震震源地のバルパック村。この村出身のディワカル・タパさんが今月撮影。

 

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ネパール人初の難民認定?

ネパール人が初めて難民認定を受けたというニュースを今日見つけました。

 

ネパールでは2001年からギャネンドラ国王の暴政が始まりました。当時は、マオイストのゲリラ破壊活動が問題になっていましたが、マオイストも他党と一緒に国王に立ち向かい、ついに2006年に王制廃止。その頃、今回難民認定を受けた男性は、国王派の党員だったためマオイストに拉致、拷問を受けたそう。迫害を逃れ、2007年に来日。2010年に難民申請したが今年やっと認定を受けられた、ということです。

王制崩壊の道筋

 

でも・・・

2006年王制廃止後、マオイストは政府と和平協定も結び、破壊活動は終え、その後政権にもつきました。悪名高いギャネンドラ元国王は国内に住むところも与えられ、たぶん隠し財産でそれなりの生活を送っていると想像・・・。ネパール人やさしい・・・。

 

ということで、ネパール国内で元国王派への迫害はもうないと思うんですが・・。

日本は難民認定の壁が高く、昨年は5000人申請してわずか11人認定。(ドイツは10万人認定!)

もっと深刻な政情不安の国はあると思うけど、今なぜこの認定がされたのか??

 

ネパールの知人に、元国王派がどんな状況か聞いてみなくちゃ。

写真:2001年王族11人殺人事件後、王位につくギャネンドラ国王(当時)

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Prakashからのメッセージ

Prakash kaji Dangol(プラカス・カジ・ダンゴール)は2000年のネパールツアーでガイドをやってもらって以来、二度の民族舞踊招聘公演絵画交流事業などの現地調整、通訳などとても重要な仕事をしてもらっています。


Prakashからのメッセージです。

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雨季せまる~ネパール地震

ネパールでは5月下旬から、インド洋の湿った季節風が吹きヒマラヤ山脈にぶつかって大量の雨が降り始めます。これはモンスーンと呼ばれ9月下旬まで続きます。写真は5月初め雨季の直前に行われるパタンの山車祭り。モンスーンは大事な田植えの季節で、その恵みの雨を祈る祭りです。


しかし今年の山車祭りは大地震のため中止です。そして恵みの雨となるはずだったモンスーンは、緩んだ地盤や、ひびの入った建物の崩壊の原因となることが心配されています。


写真の山車は、パタンの街中の10数箇所の伝説のあるポイントを2週間~1ヶ月くらいかけて、大勢の男たちによって曳き回されます。各ポイントの山車の出発日は星占いで決めるため、お祭りの期間が一定ではありません。山車を曳く者たち、それを取り巻く観衆たちの息遣いを、今年は聞くことができません。

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5・12巨大余震~ネパール地震

5/12 また大地震が起きてしまいました。


ネパールに行くときは、カトマンズで旅行代理店を営んでいるシェルパ兄弟一族にお世話になります。彼らの故郷はソルクンブで、今回の震源地とエベレストの中間くらいにあります。恐らく前回より震度は大きいのでは?と想像するのですが、情報はまだ入ってきていません。

その兄弟の一人Karma Sherpaは教育支援のNGO  The Small World

を運営しています。4/25以降、被災者支援に懸命でしたが、またひとつ難しい状況になりそうです。


写真はAFPニュースより

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スワヤンブナート被災~ネパール地震

スワヤンブナート(Swoyambhunath)の被災状況の写真がありました。

カトマンズ、パタン、バクタプールの三都がある地域は周囲を2000m以上の丘(山とは言わない)に囲まれた盆地です。そこには次のような伝説があります。


「太古、カトマンズ盆地は湖で中央に小島があった。そこに大日如来が現れ、チベットからインドへ向かう文殊菩薩が立ち寄った。そこで文殊菩薩は、湖にすむ蛇の悪行を鎮めるため、南側のチョバールの丘を切り崩し、水と蛇を流した。そして小島の頂にスワヤンブナート寺院が建立され、水のひいた盆地には人々が住み始めた。」


盆地がかつて湖で、チョバールの丘が崩壊したことは地質学調査で明らかになっています。今回の地震は、かつて水底だった軟弱な地盤が被害を大きくしたこともわかっています。

この伝説が語るように、スワヤンブナートはヒマラヤ圏最古の寺院といわれ、ネパールを象徴する寺院です。

写真は絵葉書を拝借。スワヤンブナートのかなたにヒマラヤが。

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サパナの救援募金~ネパール地震

2004年舞踊公演チームの現地練習風景
2004年舞踊公演チームの現地練習風景

大地震から2週間が過ぎました。各国救援隊も引き上げが始まっています。救援募金も世界中の各団体で行われています。募金先リスト

サパナでは、ネパール全体への支援は大きな団体に任せると考えて、これまでのプログラムでつながりのできた人たちに直接届ける救援募金を進めています。

そのプログラムは、次のものです。

2001年舞踊公演(サンク・エバーグリーン校の生徒たち)

2004年舞踊公演(ヌチェ先生のチーム、パタン・ジャプのチーム)

スタディツアー


日本側で関わってくれた人たちには連絡をしましたが、連絡いってない方、また関心のある方は、お問合せからご連絡ください!

写真上:2004年舞踊公演チームの現地練習風景

写真下:2001年舞踊公演チーム

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ネパール サンクの状況

Kishor Ranaさんがネパール・サンクの被災状況写真をアップしてくれました。残念ながら、見覚えのある町並みが倒壊しています。

http://goo.gl/VVB8sC

 

2000年の年末、サパナ主催のツアーでサンクのevergreen schoolを訪問しました。それが縁で

2001年に生徒たち(9~16歳)の舞踊グループを招聘し北海道内で公演、また絵画で優秀な生徒やネパールの画家を招聘し絵画交流事業を行いました。

 

その後もツアーで何度か村を訪れ、いろいろ思い出のある町並みなだけに、とても残念な思いです。

 

写真:2001年ネパール音楽舞踊公演 滝上町(たきのうえちょう)公演

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4.25ネパール大地震~建物は?

ネパールの町場の住宅は、レンガ造3~5階くらいのものが多く、隣戸と接して建てられています。窓、ひさしは細かな木工細工で作られます。西欧の組石造では窓枠の上部に石を渡し壁の補強材とします。ネパールでは、その部分が木材のため、弱点となるでしょう。

 

寺院などでは、1階のレンガの上に大きな木材の梁を渡して、その上に2層目のレンガを積むという、日本の感覚では信じられないような構造もあるようです。梁のサイズを大きくすれば重いレンガも支えられるでしょうが、やはりこれも構造的には弱点になるでしょう。

 

バクタプールやパタンなどのレンガの町並みは、どこまで歩いても飽きることがない素晴らしいものです。どの程度の損傷があったのか・・・

 

写真:サンク村 ネワール族の民家が続く

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4.25ネパール大地震~ディワカル・タパ

大阪でレストランを経営しているディワカル・タパさん。彼の故郷はネパール・ゴルカで、今回の震源地直近です。当日、田舎のお母さんの無事は確認できたそうですが、詳しい情報は入らずという状況。30日に急遽帰国し、インドで物資を調達してゴルカに向かうとのことです。お店には地震後、義捐金が届けられ、それも現地に届けるとのこと。

 

・・・彼と奥さんのまゆみさんと知り合ったのは2004年、ネパール舞踊公演の関西開催を引き受けてもらったのが縁でした。彼が小さなレストランを開店したばかりの時でした。その後、順調な経営で大きなお店となりました。その後ネット上だけのやり取りでしたが、この3月に家族と共に北海道に来て、11年ぶりに再会できました。あったかい5人家族と楽しいひと時を過ごしましたが、まさかその1ヵ月後にこのような大惨事が起こるとは。それも彼の田舎が震源地となって・・・

 

昨日ブログで、赤十字などの募金先掲載しました。もし義捐金を考えておられる方は、ディワカル・タパさんも責任を持って届けてもらえる方です。彼のサイトで連絡先等をご覧になってください。

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4.25ネパール大地震~救援募金先

発生から24時間が過ぎました。私たちのネパールの知人たちとは連絡が取れ、無事が確認できました。しかし、余震で建物の倒壊が考えられ、夜は道路で毛布にくるまっている人が多数いるようです。雨季の時期でなかったことは不幸中の幸いといわなければなりません。

今日26日午後、日本の国際緊急援助隊70名がネパールに出発しました。外務省、警察庁、JICA(国際協力機構)、東京消防庁などによるチームです。日本赤十字社も今日、スタッフ5人が出発し、現地調査で救援内容、規模を決めるそうです。


写真:バクタプール王宮広場夕景

 

救援募金窓口も開設されています。

 

IFRC(国際赤十字赤新月社連盟)

British Red Cross(英国赤十字社)

国際連合世界食糧計画(WFP)

Yahoo!ネット募金  募金先は被災地域の支援活動を行う団体を予定

日本赤十字社  窓口開設準備中

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4.25ネパール大地震~予測された災害

ヒマラヤ山麓ネパールでは近いうちに大地震が起きると言われていました。

 

●予測のポイントは・・・

1.ヒマラヤを作り出したプレートの衝突地帯

2.これまでの発生周期年数からの予測

 

●災害を拡大させる要因として・・・

1.防災計画、建築規制の皆無

2.カトマンズ盆地は古代に湖だったので地盤が軟弱

 


写真:ネパールで最も美しい古都バクタプールのバイラブ寺院。1934年大地震で倒壊、再建された。今回は無事だったが、右側の低層建物が倒壊。

 

予測に関する論文がありました。リンクから読めます。(図がぼけてて分からないのが難点・・・)

『中部ヒマラヤ巨大地震とカトマンズの危機』
吉田勝:ゴンドワナ地質環境研究所(和歌山県橋本市)

B.N.ウプレティ:トリブバン大学トリチャンドラキャンパス地質学教室(ネパール王国カトマンズ市)

 

抜粋: カトマンズ盆地地盤の耐震脆弱性は、市内の多くの老朽建物と劣悪な新ビルディング、さらに狭い道路と無計画・無秩序な都市構成と相まって、カトマンズを南アジアで地震に対して最も危険な都市にしています。そのうえ上記のように、カトマンズは世界で一番巨大地震に晒される危険に面した都市の一つでもあります。もし1934年のネパール・ビハール地震と同強度(M8.3で、カトマンズの震度はV~VIであった-図4参照)の地震がカトマンズを襲ったならば、カトマンズの受ける打撃は大変なものと推定されています。

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4.25ネパール大地震

日本に住むネパールの知人の田舎は震源地にかなり近い、ゴルカ。現地家族は無事とのことがわかったそうですが、詳しい状況は入ってこないとのこと。


写真はバクタプールの様子。左奥にニャタポラ寺院。ネパールで最も高く30m。1934年の大地震でも倒壊しなかったが、今回も無事だったらしい。

写真はYama Buddha サイトより

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2015年4月14日ネパールの新年

昨日4/14はネパールの公式の元日。民族により違う正月がありますが、いちおう公式の正月。


画像はネパールでお世話になっているKarma Sherpa のFBから拝借。


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エベレストに穴をあける

青蔵鉄道がラサに乗り込んでから9年。その後、ギャンツェまで延伸。膨大な異民族、資本を運びこみ続けて居る。中国は、ネパールにまで鉄道を伸ばすといわれていたが、ついにこんなニュースが。中国政府はエベレストの下を通ってネパールと結ぶことを検討中と。

2020年までにはネパール国境まで延伸させる計画らしいが、エベレストの下を潜り抜けるのには何年かかるのか。それまで中国という国は継続し続けるのか。

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ニュース元

【北京AFP=時事】世界最高峰エベレストの下をトンネルで通り、中国とネパールを結ぶ鉄道の開設を中国政府が検討していると、9日の同国国営メディアが報じた。(写真はチベット・ラサから北京へ向けて走行する列車)
  中国政府は現在、インドが完全に自国の勢力範囲にあるとみなしているネパールとの関係を構築している。青海省の省都とチベット自治区のラサはすでに「青蔵 (青海チベット鉄道」によって結ばれているが、中国国営英字紙チャイナ・デーリーは中国工程院の専門家の話として、ネパール国境までの路線延長が「ネパー ルの要請により」計画されていると伝えた。同紙が引用したチベット当局の高官は、2020年までの完成を見込んでいると述べている。
 中国の王毅外相は昨年12月にネパールの首都カトマンズを訪れた。ネパール側の報道によれば、新路線は最終的にカトマンズやその先にまで延長され、巨大市場であるインドと中国をつなぐ重要路線となる可能性も秘めている。
  一方チャイナ・デーリーは、そのような計画では、エベレストの下にトンネルを建設する可能性もあると伝えている。専門家の王梦恕氏は同紙に対し「路線はお そらくチョモランマ、(エベレストのチベット名)を通り抜けなければならない。作業員たちは非常に長いトンネルを掘ることになるだろう」と語った。同氏 は、「著しい」高低差の変化があるヒマラヤの地形では、カトマンズへ乗り入れる列車はどれも最高時速120キロにとどまるだろうという。【翻訳編集 AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2015/04/10-16:51)

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今度はサイが大暴れ!?

これまでに象やヒョウの被害のニュースがありましたが、今回はサイ。

ネパール南方30kmほどのマクワンプールの街中にサイがあらわれ、暴走。一人が死亡とのことです。

マクワンプールはここ

ネパールの北側は8000mのヒマラヤですが、南部国境はインドに接していて、標高は100~200mの亜熱帯。ジャングルには象、サイ、ヒョウなどが生息し、いくつかの動物保護区、国立公園があります。事故があった地域はチトワン国立公園に接しています。ネパールではもっとも有名なところで、多くの観光客が象に乗ってジャングルをめぐっています。サイは比較的発見しやすい動物です。今回の事故は公園から散歩に来たんでしょうか?映像を見ると、てくてくと歩いてますが、叫び声やクラクションがけたたましく聞こえます。たぶん、それに驚いて暴走したのでは?最終的には、公園に戻ったそうですが。


これまでのブログ

今度は人食いヒョウ! ネパール
ネパールの殺人象



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北朝鮮違法労働者 ネパールから国外退去!

先日のブログで紹介した、ネパールでの北朝鮮違法労働者54名は強制退去となったそうです。


北朝鮮の「南南協調総会社」が受注した水力発電の工事現場でのこと。北朝鮮の会社が受注していたというのはびっくりですね。賃金は会社から政府にわたり、ピンハネされた上で政府から労働者に払われるという仕組みにもびっくりです。いろいろびっくり!!の国北朝鮮。

ニュース元サイトはJAPAN Daily NK。北朝鮮情報サイトでアメリカにもあるようです。

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ヒマラヤ登山は偉業?

エベレスト登山口はネパール側とチベット側と2箇所あります。チベット側では、今年から環境保護費というものを200ドル/人 取ることになったそう。ヤク(牛を真っ黒にして大きくした感じ)を連れてのごみ掃除だそうです。また、ネパールでは登山者が排泄物8kgお持ち帰り、という規則が作られるとのこと。ヒマラヤ登山は偉業とも言われるけれど、汚染源となっていることは間違いなさそう。写真はエベレスト街道のマニ車。シェルパ族が多く済むこの地域はチベット仏教圏だということがわかる。

ちなみにこれまでの登山料は次のとおり。
●ネパール側
7名以上のチーム…10,000ドル/人(120万円)単独登山…25,000ドル(300万円) ※この他ごみ処理費加算あり

●チベット側
2名以上のチーム…5,500ドル/人(66万円)単独登山…10,000ドル(120万円)

環境保護費のニュース元 http://www.xinhuaxia.jp/social/63335

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ネパールに海外出稼ぎ!?

北朝鮮からネパールへ、観光ビザで行った連中が、違法就労!


ネパールは国民の海外出稼ぎによる送金で成り立っているところがあります。インドもかつてはそうでした。2011年送金額は42億ドル(4,200億円)、2012/13年度の国家予算54億ドル(在ネ日本国大使館)ということで、国家予算に匹敵する送金額。海外出稼ぎがなければやっていけない国です。しかしそのネパールに海外出稼ぎに行くとは。インドの最貧困層もネパールに出稼ぎに来ていますが、この北朝鮮のケースのように組織的(おそらく国策・・)なものがあるとは驚きです。中国が公共工事を増やしているという背景もあるでしょう。 写真:パタン山車祭りの燃える男たち


ニュース元 

北朝鮮の建設労働者54人、ネパールに違法派遣 2015年02月11日 中央日報日本語版 

  北朝鮮が建設労働者54人をネパールの工事現場に違法に派遣して労働者の安全が憂慮されると米国自由アジア放送(RFA)が11日、現地日刊紙アンナプルナポストを引用して報道した。 放送によれば北朝鮮労働者54人は先月、観光ビザでネパールに入国した。彼らはネパール北部山間のSindupalchok地域に移動して水力発電所用トンネルの発破工事に投入された。放送は彼らが北朝鮮軍の服務当時に爆発物を利用して発破作業をした爆破専門家たちだと伝えた。彼らは北朝鮮の労働者の海外派遣専門業者とネパール現地企業の間の契約を通じて工事現場に就職したと分かった。 続き


出稼ぎに関するこれまでのブログ

ネパールの世話 सेवा ?

海外在住ネパール人協会?

ネパールの出稼ぎ

シェルパの出稼ぎ

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さすがネパール!憲法、8年間決まらず

王制から連邦共和制への国となるため、憲法作りを始めてから8年目。またまた時間切れとなりました。


2006年 王制廃止

2008年 制憲議会スタート(連邦共和制の新しい国の憲法を4年内に作る議会)

2012年 制憲議会4年間もめ続け、時間切れ解散。憲法できず。

2014年 再度制憲議会スタート。期限は1年!

2015年 時間切れでまた憲法できず・・・



でも、8年間暫定憲法でやってこれてるんですから、そのままでもいいかも知れません。日本は憲法ありますけど、解釈変更!ってことだけで意味変わってしまう程度のものなんですからね。


これまでの議会関連のブログ

ネパール 懲りない制憲議会選挙

ネパールの13年を30秒で

憲法がない状態で5年目 ネパール

憲法なくたって

憲法のない国ネパール

政治が合わない国


写真はニュース元より。Vサイン出してるのは野党議員なんでしょうけど、ちょっとそれは。。女性議員がこんなにいるとは知りませんでした。

 

ニュース元時事ドットコム

憲法制定、期限切れ=ネパール
 【ニューデリー時事】ネパール制憲議会は22日、この日までとしていた憲法草案の起草期限切れを迎えた。与野党の主張の隔たりが埋まらなかったためで、新たに期限設定し、残り任期内で草案作成を目指す。
 野党は「憲法は各党の総意に基づいて決められるべきだ」と主張し、投票で決めようとする与党に反発。ネムバン制憲議会議長は「政党が公約を守らなければ、国民の信頼は得られない」と野党議員の説得を試みたが、失敗に終わった。(2015/01/23-21:20)

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自動車は担いで運ぶ

ネパールには1930~1940年ころ自動車が運び込まれました。でも、そのころのネパールにはカトマンズの街中にしか広い道路がなかった・・。インドからカトマンズまで、自動車を担いで運んだのが、チトラン村の男たちでした。チトランはカトマンズから南西15kmくらいにある村。街道に沿って長く伸びる水田の広がる農村です。


写真は今も残るその頃の街道。石が敷き詰められています。ここをおみこしのようにして自動車を運んだんですね。村人たちの生活道路で、カトマンズへの経路です。ここから1時間ほど上って2000m超の峠、そこからは遠くヒマラヤが見えます。道はそこから一気に下り、2時間ほどでトリブバン国道に。そこからバスに乗ってカトマンズへは30分ほど。


というのは、この写真を撮った2003年の頃のこと。その頃この傍らで工事中だった九十九折道路が、すでに完成しているようです。村人の生活もずいぶん変わったことでしょう。


自動車を運んだチトラン村古老のインタビューありました→ニュース元

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シムシメパニマ

シムシメパニはネパール語。パニは雨のこと。初夏にふる霧雨のような恵みの雨。結婚前の男女の間柄のたとえにも使われる言葉です。

2001年に、ネパール・サンク村エバーグリーン校の10~16歳の生徒たちを招聘しました。道内数箇所で音楽舞踊公演をやりました。その中の一曲がシムシメパニマでした。ちょっかいをかける青年、それをいなす娘の掛け合いを、12歳の女の子たちがやけに色っぽく踊っていたのを思い出します^^ その女の子たちももう20代。お母さんになった子もいます。 ↓youtubeでも聴けますよ。

Simsimey pani ma - Nepali Folk Song (नेपाली लोक गित): http://t.co/dJ2mFNcY5W


写真は、その時の舞台衣装。

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ネワール料理?

ネワール族はカトマンズ盆地に大昔から住んでいた民族。カトマンズ、パタン、バクタプールの世界遺産都市で見られる建築、工芸、各種芸術はネワール民族が創りあげたものがほとんど。


料理のバリエーションも豊富。インド系の料理とは一味違う風味がある。写真はネワール族のミナさんが、豆料理をしているところ。豆の種類はものすごく多く、露天には驚くほどたくさんの色がならぶ。

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ネパールのTV番組がつづいてる

12/28 BSjapan 「沸騰ヒマラヤトレッキング!最貧国ネパールの光と影」


これは、テレビ東京「日経スペシャル 未来世紀ジパング ~沸騰現場の経済学~」という番組。“世界を見て、明日を読む”『経済“予測”番組』という趣旨だそうです。

番組では、ネパールのトレッキングビジネス、登山料収入、マザーハウスの伝統産業のビジネス化、ネパールに帰化した宮原氏によるホテルビジネスなど紹介されてました。結論としては、かつてのスイスと似た国情なので、それを参考にしては?というものでした。

もうひとつは同じく12/28 NHKBS「雪男“イエティ”の謎&ゆく予知くる予知」。雪男はいるのか?という内容。

山岳民族(主にシェルパ)にあった伝説と仏教が融合して出来上がってきたというような説が披露されてました。イエティ伝説を調査し、著作も出された根深誠さんもコメンテーターとして出ていました。(2004年に札幌で「植村直巳」の講演をやっていただきました。 こちら

 

12/29にも、NHKBSで「壇蜜 ネパール 死とエロスの旅」というのがあります。なぜこんなに続くのかな?。?

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BS日テレ 世界・神秘の道をゆく「ヒマラヤ・シェルパの道」

昨晩、日テレでシェルパを題材にした番組あったようです。見ませんでしたが。写真は、エベレスト街道で出会った子どもたちです。なつかしい・・。

片方はたぶんシェルパ族の子どもでしょう。このあたりにはライ族という、シェルパと見分けのつかない民族もいるんですが。もう片方も地元の子どもでしょうが、どうもアーリア系というか、面立ちが違いますね。


シェルパに関するブログはいくつかあります。読んでみてくださいね。

 

シェルパ関連ブログ

エベレスト登頂の認定?

ヒマラヤ・マネー

1970年5月11日

エベレスト雪崩事故の余波

シェルパの出稼ぎ

シェルパ族

 

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カトマンズ、ラサ間に新規航空便?

ネパール・ラサ路線
ネパール・ラサ路線

現在、カトマンズ、ラサ間の航空便は、中国国際航空 が毎日一便運行してますが、今秋から新規便の運行が始まるそうです。中国とネパールの航空会社が合弁会社を作って10月から運行とのこと。。。武器供与、公共工事など、中国からネパールへの投資は増加の一途ですが、観光客も大幅増。外国語の習得能力が異常に高いネパール人ですから、観光ガイドたちもすっかり中国語化してるでしょう。

今年、17年ぶりだったか、インドの首相がネパールを訪問したとニュースがありましたが、中国、インドの綱引きの場になっているネパール。。。

 

現在の航空便

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シェルパの死亡事故補償

トレッキング荷運びのシェルパ
トレッキング荷運びのシェルパ

今年4月のエベレスト雪崩事故で、ガイドのシェルパ族たち16人が死亡。政府の事故補償が少なすぎたことから、シェルパたちはガイド業務をボイコットしました。

それをうけ8/8政府は、死亡保険金を従来の1.5倍 日本円で155万円にすると発表しました。

5000mから8000mの高地での仕事に対する保険金額がそんなものなのかな?と思ってしまいますが。

ちなみに、ネパールの中高の先生の月給は約2~3万円。

 

写真はエベレスト街道でトレッキングの荷運びをするシェルパ族

 

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ネパールで泥流被害

ランタン山脈
ランタン山脈

8/2 ネパール シンドゥルパルチョーク県(カトマンズの北方)で豪雨による泥流が発生。死者が出ているとのことです。

5月下旬~10月はネパールの雨季。インド洋の湿った風が北上し、ヒマラヤ山脈にぶつかって上昇し大雨となります。これはモンスーンと呼ばれ、農業比率が高いネパールでは恵みの雨。しかし、急斜面の多い山村では、大きな災害をも生みます。

 

写真は、シンドゥルパルチョーク県に北部のランタン山脈(2004年撮影)

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エベレスト登頂の認定?

登頂祝賀会
登頂祝賀会

2014/5/23中国人女性がエベレストに登頂した。しかし6月初めに、第2キャンプ(6400m)までヘリを使ったと本人が認めたというニュースが流れた。

結局7/1、ネパール政府は、彼女が第2キャンプに荷物を下ろしてからベースキャンプに戻って、そこから登山を開始したという主張を認め、登頂を認定した。ううん、なんだか変な流れ。

 

事の起こりは5月のベースキャンプ上部の大雪崩。その事故で多数のシェルパが死亡し、登山荷運び、サポートが中止されてしまった。そのためヘリによる荷運びが必要になった。彼女は各大陸最高峰登頂の記録を目指しているところらしく、今シーズンどうしてもここに登ってしまわなければならなかった。

 

雪崩事故関連ブログ

ヒマラヤ・マネー

エベレスト雪崩事故の余波

 

写真はネパールでの登頂認定祝賀会。AFPニュースから転載。

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パラス元皇太子は まだ?

皇太子時代のパラス
皇太子時代のパラス

ネパールのパラス元皇太子が、バンコクでマリファナ所持で逮捕というニュース。2012年にもタイで捕まっていたとのことです。

2001年に暗殺された国王の実弟ギャネンドラの長男です。数々の悪事を重ね、王族の中では悪評No.1でした。国王の暗殺でギャネンドラが国王に就いた時、国民が一番心配したことは、パラスが第一の王位継承権を持ったことでした。幸い^^;、ギャネンドラの悪政により2006年王制崩壊となりましたが。

 

王族は王宮から退去させられましたが、国内に土地、建物は与えられました。惨殺されるような国もありますが、ネパールの人々のやさしさ?を感じる成り行きだったと思います。加えて、王制時代の王族蓄財は結局彼らの懐の中で、この放蕩皇太子がまだ遊び呆けていたとは、驚きのニュースでした。

 

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ニュース元 時事ドットコム

 

 【バンコク時事】2008年に王制が廃止されたネパールのパラス元皇太子(42)が、薬物の違法所持容疑でタイ警察に逮捕されていたことが16日、分かった。 警察によると、元皇太子は宿泊先のバンコクのホテルでマリフアナ約13グラムを違法に所持していた疑い。容疑を認めているという。観光ビザでタイに滞在していた。 元皇太子は高級クラブ通いや飲酒運転など素行の悪さで知られ、ネパール国民の不興を買っていた。AFP通信によると、12年にもタイのプーケット島でマリフアナの所持容疑で逮捕されたことがあるという。(2014/07/16-19:08)

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山車祭り

山車
山車

早朝から集団的自衛権ヘキエキニュースで始まった7月。でも知人から、祇園祭が始まったとの情報が流れてきて、ネパールの山車祭りを思い出し気分転換です。この祭りは、雨季直前の5月ころ行われる、雨乞いの祭りです。田植えのために恵みの雨を降らせてください、という祭りです。巨大な山車は、巨大な真柱や車輪、祠からなりますが、すべて縄だけで組み立てられます。

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五色の旗

五色の旗とカタ(白い布)
五色の旗とカタ(白い布)

13年前のものが出てきました。

チベット仏教五色の旗 ルンタ。

経文の書かれた青・白・赤・緑・黄の旗が連なったもの。

風にふかれてお経が運ばれるようにと、聖地、お寺、また危険なつり橋などに、わさっと掛けられる旗です。

チベットではあらゆるところで見られますが、ネパールも半分チベット圏なので同じように架けられています。

 

2001年 ネパール音楽舞踊公演の時、イベントで使うためネパールで買ってきたものが倉庫から出てきたのです。10歳から16歳の生徒と学校の先生や伴奏者総勢17名をよび、北海道各地で公演しました。あれから13年か。当時12歳だった女の子はもうお母さんになってます。

 

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標高5000mのマラソン!

パプルへ向かうセスナの機内
パプルへ向かうセスナの機内

5/29 エベレスト麓の標高5160mゴラクシェプを出発点とするマラソンがありました。

ゴールはナムチェバザールで標高は3440m。水平距離で30kmくらい、標高差は1700mくらい。

優勝者はライ族の男性でした。おつかれさまでした。

ライ族はシェルパ族と同じ高地民族で、見分けはつきません。シェルパは登山ビジネスで収入を得られるようになりましたが、ライ族はそういう才覚がなかったようです。民族差別を受ける立場のようです。

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ヒマラヤ・マネー

夕焼けのアンナプルナ
夕焼けのアンナプルナ

4月のエベレスト雪崩事故の補償をめぐり、シェルパたちがガイドの仕事をボイコットしました。そのため、ほとんどの登山隊が中止に追い込まれました。登山料を当てにしていた政府は、急遽、許可していなかった100以上の山々を開放し、なんとか登山料を確保しようとしています。オイル・マネーの国にならって、ヒマラヤ・マネー?でもね、なんとなく嫌な感じですね。

仮に登山隊が来たとしても、シェルパたちがどう動くのか?経験の浅いガイドたちが借り出されて、事故続発、などということにならなければ良いのですが。

 

エベレストの写真がなくて、アンナプルナの夕焼けを。

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ホムカミ?

シェルパの子ども エベレスト街道にて
シェルパの子ども エベレスト街道にて

5/18夜、放映されたホムカミというTV番組の話題(見てませんが)。在日外国人がふるさとを訪問する、という番組らしいです。

 

昨夜は東大大学院を卒業したネパール人元留学生が主人公。ふるさとは住人900人の山村で、彼が村に建てた小学校を訪問する内容だったそうです。番組サイ トを見ると、「感動した」「教育支援に協力したい」などたくさんコメントが書かれてます。いい番組だったようです。そのせいか、昨晩のサパナのサイトアクセス 数がいつもの3倍になりました!

 

ただ、国際協力、途上国支援は、その国を十分知った上で行うことが不可欠です。友情、同情による一時的な感情で行われた支援もどきで、ネパールという国は大きなダメージを受けていることも現実です。

 

ホムカミfacebook http://goo.gl/lV3GZ8

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1970年5月11日

左側高峰がエベレスト シャンボチェより2003年
左側高峰がエベレスト シャンボチェより2003年

1970年5月11日 植村直巳がエベレストに登頂しました。日本人としては初めて。その翌年、エベレスト国際隊(英国、米国、インドなど)に参加して、失敗。彼はこれらの経験からシェルパを従えた大人数登山に疑問を持ち、その後単独行をとるようになったといわれます。

 

今年4月のエベレストベースキャンプ近くの雪崩で、13人のシェルパが死亡、3人が行方不明になりました。政府に入る登山料に比して、事故補償が少なすぎると、シェルパたちは今シーズンの登山ガイドを中止しました。今年のシーズンの5月、エベレストに登るものはいません。植村直巳の登頂から44年目。

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ネパール・ジョムソンに放送局!

カグベニ村
カグベニ村

ネパールの大部分はヒマラヤ山群の南側にありますが、北側にも領土の一部があります。そこはチベット文化圏の地で、風景がガラリと変わります。ジョムソンはアンナプルナ山群の北側の町で、ムスタン奥地への基点です。

 

そこに放送局ができたそうです。設計は韓国人。http://goo.gl/jf2vdW 20年ほど前には日本のNGOがチベット医学系の博物館を作ったこともありますが、その後はネパール全土を見ても韓国、中国の活動が多くなっています。

 

写真はジョムソンから北へ半日程歩いたカグベニ村

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エベレスト雪崩事故の余波

左端にエベレスト
左端にエベレスト

4/18の雪崩事故で、今シーズンの登山は全面中止となったようです。シェルパ13人が事故死したのですが、その補償などが解決されないことが原因です。年間3億円の入山料は政府に入っているのに、死亡したシェルパたちへの補償はわずか。貴重な収入が途絶えてしまいますが、彼らはサポートを中止しました。

 

ニュース元 cnn.co.jp

http://www.cnn.co.jp/world/35047370.html

ネパール・クーンブ渓谷(CNN) 世界最高峰のエベレストで4月18日に発生した雪崩事故の影響を受け、今シーズンの登頂を断念する登山隊が相次いでいる。ガイド役を務める地元シェルパの多くが登山中止を決めたためだ。・・・・

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ネパールの飛行場…離陸がいいか着陸がいいか?

Kangel Airport
Kangel Airport

facebookの Solukhumbu というページから毎日いい写真が流れてきます。ソルクンブは、エベレストに近い地域で、シェルパ族が多くすむ地域です。 おととい流れてきた写真は、
Kangel Airport という空港の写真でした。山頂を削った空港らしく、離陸も着陸も地に足がつかないカンジです^^。ソルクンブではルクラ空港が、エベレスト登山の入り口で最も客数が多いところです。ここの滑走路はスキー場の初心者コース程度の斜度があり、下りながらの離陸はなかなかスリルがあります。また、同じくソルクンブのパプル空港は、180°旋回しながら着陸する空港で、初めて行った時は何が起こったんだ!と驚きでした。

 

飛行場関連ブログ

ネパールの飛行機は?

ジョムソン

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ネパールの蜂蜜とり

ネパール中央部のポカラという町から西へ向かい、アンナプルナ山群を見渡す標高2000m前後の山並み。その地域にはグルン族という山間民族が住んでいます。住宅の軒先には蜂の箱がぶら下がっています。彼らは昔から蜂蜜とりを生業としてきました。山奥の、険しい崖地での蜂蜜とりは世界的に知られ、先日もTV番組がありました。彼らの蜂蜜とりを撮影したニュースがありました。


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ネパールは電気自動車の先進国!

電動乗合タクシー
電動乗合タクシー

写真は10年前カトマンズで撮影の電動乗合タクシー。カトマンズはバイク、トラック、バスなどディーゼルエンジン車がかなりの排気ガスを撒きちらしています。その解決策として海外からの支援も受け、10数年前にはすでに電気自動車がかなりの数 走っていました。

今年から、東京の電動バイク企業がカトマンズにショップを開くというニュースがありました。年3000台の販売目標とのことです。

 

ニュース元

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140310/biz14031008060000-n1.htm

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超大国にはさまれたネパールは?

スシル・コイララ
スシル・コイララ

ネパールは2006年に王制が崩壊しました。そして連邦共和制の憲法を作る議会スタートが2008年のこと。でも、ずるずるっともめ続け、6年経った今も憲法はできず。ま、のんびりとです。

ところで2008年に新体制初代首相となったダワルさん(マオイスト派)。それまで新首相の就任挨拶はまずインドへ、という慣例でした。ところが彼は中国に行ったのです!中国からは武器、開発援助などかなりネパールに送られ始めてもいたので、いよいよネパールは中国の一部になるか・・と思いました。その後も中国からのODAは増え続け・・

 

しかし、今年就任のS・コイララさん(会議派)の就任挨拶はインド!超大国にはさまれたネパールの行く末は果たして?

 

ニュース元 産経ニュース

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エベレストがお得に!

夕日のエベレスト
夕日のエベレスト

現在、エベレスト登山料は、1人だと250万円、7人なら710万円。ところが来年から、1人110万円になるそうです。登山料で躊躇していた皆さん、この機会にエベレストに登りましょう!

それにしても割り引き方の大雑把さがなんとも言えません。そういえば、10年くらい前のロイヤルネパール航空もそうでした。15人の団体の場合、もう1名ただで乗れたんです。いい時代でした^^

 

・・・写真は夕日のエベレスト(シャンボチェから http://goo.gl/maps/bY9fs

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ネパールの?白岩塩

ネパールの白岩塩
ネパールの白岩塩

今回の岩塩は白です。なかなか、奥深い、含蓄ある色をしていました。これは硫黄のにおいはしなかったと思います。普通の塩味。

 

ところで、前回の黒岩塩はネパール語でビレヌン बिरेनुन だそうです。

ヌン नुन は塩のことですが、ビレがどういう意味かはわかりませんでした^^

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ネパールの?岩塩

ブラックソルト
ブラックソルト

ネパールの露店で売られてる岩塩。英語ではブラックソルトと呼ばれます。。白っぽく見えるのは粉末がついたもので、右端の赤っぽいのが本来の色です。かすかに硫黄のにおいがします。これは胃腸や風邪の薬になる、と聞きました。

岩塩の産地を調べてみると、中近東、アフリカ、北米、南米など全世界にあるようですが、ネパールはあげられていません。この露店でもパキスタンと聞いたような記憶があります。ところが、ネットショップにはヒマラヤ岩塩という名称が溢れ、ネパール産というような表記も・・・どうも怪しい。

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明治大正期の北海道の監獄労役のようなことが

まるで明治大正期の北海道の監獄労役のようなことが、起こっています。

カタールでの海外出稼ぎネパール人たちが、この2年間で382人死んでいるという報道。

海外で出稼ぎをしなければ生活が成り立たない、という仕組みなってしまった社会の悲劇です。

ブッダが生まれた国の悲劇。

 

出稼ぎに関するこれまでのブログ

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海外在住ネパール人協会?

ネパールの出稼ぎ

シェルパの出稼ぎ

 

---引用---------------

ニュース元 47ニュース 2014/01/25 【共同通信】

 

W杯競技場建設で185人死亡 サッカーのカタール大会

 

 【ロンドン共同】英紙ガーディアン(電子版)は24日、サッカーの2022年ワールドカップ(W杯)カタール大会に向けた施設などの建設事業で、ネパールからの出稼ぎ労働者が昨年185人死亡したことが公文書発表で明らかになったと報じた。

 同紙は昨年9月もネパールからの労働者への虐待や搾取、劣悪な労働環境の実態を報じ、多数の死亡者が出たと伝えた。だが、その報道から数週間で36人が亡くなったとし、状況が改善されていない様子を指摘。直近の2年間では死亡者数が382人に上ったとした。

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ネパール制憲議会再開…ついに?なのか、また?なのか。。。

ネパールの豆腐
ネパールの豆腐

二期目の制憲議会が1/22始まったようです。1年以内に憲法草案をつくるそうです。

 

2006年に王制が廃され、連邦共和制を目指し2008年制憲議会がスタートしたんですが・・・4年間もめ続け、時間切れ解散となりました。そして2年を経て再議会がスタート!はたして行方は??

まあくれぐれも近隣国の介入には、気をつけてほしいですが、すでに遅いという声も。。

写真はネパールの豆腐。ネパールにも、豆腐の角に頭ぶつけて・・ということわざがあるかどうかは、知りませんが。

 

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ネパール 懲りない制憲議会選挙

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憲法のない国ネパール

政治が合わない国

 

---転載-----------------

ネパール、新憲法制定へ議会初招集 政党間の対立不可避

産経ニュース2014.1.23

 新憲法が制定されず、政治混迷が続くネパールで22日、昨年11月の選挙後初めてとなる制憲議会が招集された。任期の4年間で新憲法制定を目指すが、政治体制の在り方などをめぐり政党間の対立が予想される。

 

 選挙では主要政党のネパール会議派が第1党となった。2006年に反政府武装闘争を放棄した後、国政で中心的な役割を担ってきたネパール共産党毛沢東主義派は大敗した。

 

  08年に発足した旧制憲議会は新憲法制定に向けて討議を重ねたが、実現に失敗して12年5月に解散した。(共同)

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ネパールのバス・・・

新年早々、ネパールのバス転落事故のニュースが入ってきました。

 

日本人観光客は車をチャーターすることが多いと思いますが、山肌を削ったつづら折の道路を走る恐怖を体験した人は多いと思います。そこで屋根に人と荷物をいっぱい載せたバスとすれ違ったこともあるでしょう。あの恐ろしい道路状況では、ちょっとしたはずみで事故が起きてしまいます。道路そのものがない地域もまだまだ多い国です。道路状況の改善にはまだまだ時間がかかるでしょう。

---------------------------

The Voice of Russia 2.01.2014, 07:09

ネパール西部で1日、観光客などを乗せたバス2台が川に転落し、14人が死亡した。AP通信が伝えた。

 カトマンズ北西のバスカンダ村の近くでバスが川に転落し、8人が死亡、27人が負傷した。死者は全員、ネパール人だった。タナフでもインドのコルカタ発のバスが川に転落し、6人が死亡した。バスには大勢の観光客が乗っていた。

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日本最南端のインドカレー店のネパール人たち

石垣島にあるインドカレー屋「カマル」では4人のネパール人が働いてるそうです。札幌にもインドカレーと称する店がそれなりにありますが、やはりコックはネパール人が多いようです。店名は、ネパールカレーとするよりはインドカレーという方が受けがいいんでしょうね。まあインド12億人、ネパール2600万人の料理文化ではネームバリューの違いは大きいですね。

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ネパールの飛行機は?

国内便の飛行機
国内便の飛行機

関空-カトマンズ便がまだあった、もう10年前くらい前のこと。

カトマンズ空港を深夜離陸し夜食が出た頃のことです。前の席が騒がしくなり、乗務 員がとんできました。ネパール人男性が気を失ったとのこと。その内、自分もなんとなく気が遠くなっていくような気分になってきて、洗面所に向かったところ・・・気が つくと自分は最後部の乗務員の席に座り、となりの日本人男性が「あ、気がつきましたか」と。どうやら自分は通路で気を失ったらしい・・・。となりの男性は同乗していたお医者さんでした。そして彼は「機内が標高2000mくらいの気圧に下がってました」というのです。前の席の男性が気絶したのも、そのせいだったようです。ネパール航空会社乗入禁止のニュースを聞き、あの夜を思い出しました。・・・写真はカトマンズ-ブッダバル間の国内便。

 

----ここから転載--------------

欧州連合がネパールの航空会社を乗入禁止に FlyTeam ニュース2013/12/06

 

欧州連合の運輸部門ではヨーロッパへの乗り入れ禁止航空会社のリスト、「EU航空安全リスト(the EU air safety list)」を更新、新たにネパールの全ての航空会社の乗り入れを禁止すると発表しました。ネパール航空当局、ネパールの航空会社数社からの聞き取りなど を踏まえて、禁止リストに加えたもの。EUは今後、航空の安全性向上のため、ネパール当局などと協力し、対応策のサポートなどを行っていくとしています。 対象はネパール航空、ブッダ・エアなど17社です。

http://flyteam.jp/news/article/29585

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検索キーワードは「ネパール語」!!

ナマステ
ナマステ

このサイトの検索キーワードは、ダントツで「ネパール語」!!

 

キーワード順位2~10位までが「ネパール語+あいさつ」「ネパール語+ありがとう」などです。サパナという団体名での検索はほとんどない、というのが悲しいですが・・・^^;

 

思えば、留学生に講師になってもらいネパール語講座を始めたのは1998年。それまで北海道では講座として開催されたものはなかったはずです。この時の講座にはなんと60人もの受講者が集まり、驚きました。

 

画像は、ネパール文字で「ナマステ」です。

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ネパールの世話 सेवा ?

「世話」はネパール語で「sewa (सेवा)」。日本語と同じです!

 

2011年ネパールの移民送金は42億ドル(4,200億円)。

2012/13年度の国家予算は54億ドル(在ネ日本国大使館)。

なんと海外出稼ぎ送金額は国家予算に近い額なんです。

海外出稼ぎなければ国を支えていけない、というのが現状なんですね。

 

そんな厳しい内情のなか、国外からの送金をモバイルウォレットで受取れる e-sewa というサービスが今年始まったそうです。世話という日本語にはなんとなく古きよき時代を思わせるものがありますが、このネット上のsewaも、ネパールにとっては良い世話になるかも知れません。

 

e-sewaのサイト https://esewa.com.np/home

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ネパール 懲りない制憲議会選挙

選挙の集計はどうやら進んでいるようです。来月には、新たな議会がスタートするか?

ただ、この選挙は、憲法を決めるための議会。(2008年から暫定憲法のまま)

仮に憲法を決める事ができたとしても、スタートはそこからなんですよね。

 

この議会が始まっても、また話し合いがまとまらず憲法できない!!、という事は十分予想されます。

1990年民主化(それまで政党は禁止されていた)以来、半年ごとに政権が変わってきたのが、そう簡単に変わるとは想像しにくいですし・・・

心配なのは、それに乗じて良からぬ外国が入り込むことですね。

 

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時事ドットコム http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013112900016&g=int

 【ニューデリー時事】ネパール選挙管理委員会は28日、19日に投票が行われた新憲法制定のための制憲議会選挙の暫定結果を発表した。穏健派で親インド路線を取るネパール会議派が第1党を確実にする一方、旧与党のネパール共産党毛沢東主義派(毛派)は大敗が濃厚となった。

 選管によると、小選挙区では240議席のうち、会議派が105議席を獲得したが、毛派は26議席にとどまった。定数335の比例代表でも会議派が90議席程度を確保する見込みという。(2013/11/29-00:54)

 

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深遠なるネパール語の教え

サパナで発行しているネパール語のテキストは、当時30代のネパール人留学生だった男性と女性に教えてもらいながら作りました。まず挨拶の章から始めた時のこと・・・。

 

ネパールではインドと同じ「ナマステ नमस्ते」が挨拶の言葉。そして、相手が年上の女性であれば「ナマステ ディディ(お姉さん)」、年下であれば「ナマステ バヒニ(妹)」と言うとイイデスネ、と教えてもらいました。「年上か年下かはっきりしない時は?」と尋ねると、彼らは躊躇なく、「もちろんディディを使って」とのこと。それには、尊敬の意味があるからということでした。・・・女性は若く見なければ怒られる、という掟!がある日本との違いに驚きました。年をとることへのこの価値観は、経済成長が第一目標の国には、ありえないものかも知れません。

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ルンビニで大発見!?

マヤ堂(ブッダ生誕の地)内に、紀元前6世紀の木造建築跡が見つかったそうです。ブッダの誕生年は紀元前7~5世紀と諸説ありますが、この発見がひとつの根拠になるかも知れません。

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時事ドットコムより

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013112600119

釈迦生誕地に木造建築物跡=ネパールで日本政府支援調査-ユネスコ

木造建築物の痕跡が見つかったネパール南部ルンビニの寺院内部=撮影日不明(AFP=時事)

 【パリ時事】国連教育科学文化機関(ユネスコ)は25日、仏教の開祖である釈迦(しゃか)生誕の地と言われるネパール南部ルンビニの遺跡で、これまで知 られていなかった木造建築物の痕跡が見つかったと発表した。紀元前6世紀のものとみられ、謎の多い釈迦の生涯を解明する上で手掛かりとなる可能性がある。
 ルンビニはユネスコの世界遺産に登録されており、日本政府が資金協力する世界遺産の保存プロジェクトの一環で発掘調査が行われた。ルンビニの遺跡は1896年に発見され、生誕地とされる場所には現在、寺院が建っている。(2013/11/26-07:53)

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ネパールの13年を30秒で

正規の憲法がなくても、議会がなくても人々は暮らし続けるネパール。その13年を30秒で。

 

●2001年 当時の国王夫妻と親族が殺害された。国王実弟ギャネンドラが真犯人と騒がれたまま、そのギャネンドラが王位継承。

 

●2002年~2006年 ギャネンドラ国王が専制政治をおっぱじめるが、総スカンをくらい失墜。

 

●2008年 新憲法を決める制憲議会選挙が行われ、王制廃止、連邦民主共和制となることを決めたが・・。

 

●2012年 でも4年間、その議会はもめ続け、新憲法は決められず議会解散。

 

●2013年 それでも懲りず、今月11/19に制憲議会選挙をまた実施。ところが開票途中で惨敗の見えたマオイスト派が、不正選挙だと騒ぎ始め、いまだ結果が出ていない・・

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宣教師は悪魔?

10年くらい前になりますが、ネパール人知人から ”親たちはアメリカのことを悪魔とよぶ” と聞きました。知人の両親は今70代くらいになったと思いますが、やはり欧米との接触がまだ少なかったその年代の人々は宗教上の違いから、宣教師たちに魔的なものを感じていたのでしょう。

今日のニュースで、東ネパールで宣教師が殺害された、というものがあり、10年前のことを思い出しました。観光国となった今も、潜在的には異教への警戒がある、ということなんでしょうか。

 

ニュース→http://www.christiantoday.co.jp/article/6283.html

 

ファテプール村→http://goo.gl/maps/5zi6u

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タイの地獄とネパールの地獄

タイの知人と共にタイの地獄がやってきました。タイ語で地獄はナロクと言い、写真のビンのタイ文字 後ろ3字がナロクだそうです。ネパール語はナラクनरकなのでびっくりしましたが、仏教用語なので、経典から伝わった同じ語源なんでしょう。
この地獄はナンバンを加工したものらしく、ご飯にかけて食べると即地獄行きです。

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カトマンドゥ通信

「カトマンドゥ通信」というものがあるそうです。なんと、もう100号を迎えるそう。そのニュース

バックナンバーの目次を見ると、結婚式の特集シリーズが。女性は一番目に果物と、二番目に太陽と、三番目に人間の男性と結婚するとのことです。

2003年頃でしたが、ネワール族少女の果物との結婚式を見たことがあります。でも、儀式の意味を聞いても、イマイチよくわかりませんでした。このバックナンバーを手に入れて、勉強してみようと思います^¥^

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ネパールPKO部隊

2010年からハイチでコレラによる死者が数千人になっています。2011年、米疾病対策センターが、「ハイチに派遣された国連PKOのネパール部隊」が感染源という報告を出しました。そのニュース状況証拠のみでネパールという実名報告がされるというのは、なんとも?ですが・・。

 

その後もハイチでの感染は続き、死者は8千人を超えました。遺族たちは国連を相手取り米連邦地裁に集団提訴したそうです。そのニュース。賠償を求められているのは国連ですが、原因を作ったということで提訴とは。

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海外在住ネパール人協会?

先日ある人から、海外在住ネパール人協会 NRNA というものがあることを教えてもらいました。ネパール政府の主導でできた組織で世界各国にあるそうです。


ネパール人の出稼ぎも世界各国に広がってますが、ネパールへの送金額は国家予算を超えているんです!この協会では、ネパールへの外貨投資を誘致することも、目的としてあげていますネ。出稼ぎだけではなく、積極的投資を呼び込むということですね。

サパナではネパールのビジネス界とは関わりがないのでこの協会の事も全く知りませんでした。ネパールのビジネスはどういう方向を目指すのか!?

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ネパールの出稼ぎ 

以前のブログで、日本の土木業者がネパール人たちを招聘し、北アルプスで出稼ぎをしてもらっている記事を紹介しました。業者とネパール人たち、互いによいところを出し合っての事業となって いるようです。しかし今回は、日本のかつてのたこ部屋のような出稼ぎのニュースです。国家の収入のかなりの部分を出稼ぎに頼っているネパールですが、現場 の実態は悲惨なようです。

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2013.9.27 産経ニュース
カタールW杯施設建設でネパール人出稼ぎ労働者に虐待・搾取 英紙

サッカーの2022年ワールドカップ(W杯)カタール大会に向けた大規模な建設事業で、ネパールからの出稼ぎ労働者に対する虐待や搾取が行われていると、26日付の英紙ガーディアンが報じた。

  同紙は6月4日から8月8日までの間に少なくとも44人のネパール人労働者が死亡し、多くは若者で心臓疾患や建設現場の事故が死因だったと報道。給料未払 いや炎天下の長時間労働、脱走させないためのパスポート没収など劣悪な実態を伝えた。出稼ぎを仲介するブローカーが仲介料として法外な利子の借金を労働者 に背負わせ、雇用者も法律で義務付けられている身分証を与えていないなどの事例も紹介した。

 英BBC放送(電子版)によると、カタールの大会組織委員会は「労働者がこのように扱われていい理由はない」とする声明を発表。国際サッカー連盟(FIFA)は10月3日からの理事会の議題にすることにした。(共同)

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第4回国際ゲイ・プライド・パレード

今年8月下旬、カトマンズで第4回国際ゲイ・プライド・パレード(International Gay Pride Parade)が開かれたそうです。8年位前だったと思いますが、ネパールで初めて同性結婚式(男性同士)が行われたニュースが流れていました。なんとなく、日本よりは受け入れる雰囲気があるような気もします。インドでは、ヒジュラと呼ばれる第三の性が古来からありました。差別されるものではあったようですが、そんなところとも関係があるのかどうか。

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シェルパの出稼ぎ

シェルパ族が日本の北アルプスで出稼ぎをしているニュースがありました。(こちらでも見れます。)

ネパールの公共工事を請けている土木会社が、よんでいるとのことです。こういう形で、ネパールの人たちの収入を支えることも必要です。

MSN産経ニュース

2013.8.20 10:31
北アルプス・立山連峰の山小屋裏で作業をするパサンさん(右)とダー・ツィリさん

北アルプス・立山連峰の山小屋裏で作業をするパサンさん(右)とダー・ツィリさん

 ヒマラヤの登山ガイドなどで知られるネパールの少数民族シェルパの男たちが北アルプス・立山連峰の登山道や山小屋の修復工事で活躍している。富山県からネパールに進出した建設会社が窓口となり、延べ100人以上が出稼ぎや研修に来ている。受け入れている同県立山町の丸新志鷹建設は約20年前からネパールに進出。日本国内でも山岳地域での工事を手掛けているが、高地での作業に熟達した働き手が相次いで引退。約10年前からシェルパたちの出稼ぎが始まった。

 「日本人が喜んでくれるなら私たちも誇らしい」と話すのは5月に来日したパサンさん(31)とダー・ツィリさん(32)。剣岳(2999メートル)の約2450メートル地点にある剣沢の山小屋付近で斜面の崩落防止の土木工事に従事している。

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シェルパ族

シェルパ族の女の子(エベレスト街道)
シェルパ族の女の子(エベレスト街道)

シェルパ族はヒマラヤ南面ネパールの高地に生活する民族。日本人とそっくりだけれど、背は日本人よ り低い。しかし、写真のような女の子でも我々より重いものを担ぐ。(写真はエベレスト街道で)彼らはこれまで登山隊の裏方だったけれども、5年前、17歳 のシェルパの女の子がネパール隊でエベレストに登頂した。

ニュース→

http://goo.gl/pujdMA

http://goo.gl/XGVZOq

 

80歳もすごいけど17歳もすごい。

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インド北部・ネパールで大雨被害

ネパールは5月から9月、インド側から北上するモンスーンがヒマラヤ山脈にぶつかって大量の雨をふらせます。今年も雨季に入っていますが、インド北部、ネパール西部一帯が大雨で被害が出ているようです。

ニュースはこちら

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北海道YMCAで講座

先週、北海道YMCA専門学校の「国際人間学」講座でネパールのお話をさせてもらいました。 今回で6年目となりました。渡航経験のない学生たちへの話ですので、写真、ビデオをできるだけ多用して進めています。最後には、身分差別、女性差別などの質問もたくさん出て、若い彼らには未知の国がどんなイメージとなって現れたのかな、と思いながら帰ってきました。英語をメインにしたカリキュラムのようですが、培った英語力をネパールのような途上国でもぜひ生かしてほしいと思います。

 

 

講座概要

1.ネパールのイメージ

2.初めてのネパールの印象、不思議

3.ネパール基礎情報

4.ビデオ「ネパール点描」

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ジョムソン

ジョムソンの飛行場でオーバーラン事故があったそうです。

http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000005394.html

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Nepalの新年は4月中旬?

4月1日の「東西南北ソリマダン」で、ネパールの新年の話題をとりあげました。ネパールはビクラム暦と西暦を併用していて、4月中旬(毎年ずれる)がビクラム暦の新年です。実はその他にネワール族の暦、チベット系民族の暦などもあり、民族ごとの正月が違っています。知人にはネワール人が多いので、その頃現地にいても、正月という雰囲気はまったく感じませんでした。

一般に売られているカレンダーには、ビクラム暦と西暦の日にちが上下に書かれています。

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雪深い 幌加内町

3/17 幌加内町教委主催の講座でネパールの話をしてきました。

深川から山あいに入っていくと雪の多さにびっくり。幌加内町内の町民ホールの周りは3mくらいもの積雪でさらにびっくりでした。

参加していただいた方々の中に、サパナの現地パートナーであるPrakashさんをガイドにネパールツアーをしてきた方がおられ、驚きの出会いとなりました。

今回の講座では、私が1997年に初めてネパールに行った時の驚きの体験からお話しました。サパナを設立して11年となりましたが、原点を思いだすきっかけともなるひと時となりました。幌加内町の皆さん、ありがとうございました。(三浦)

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ヒマラヤの麓・・・しあわせのかたち

日本最低気温記録の町 幌加内町でネパールの話をしてきます。

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ヒマラヤ圏講座「ヒマラヤの麓・・・しあわせのかたち」
講師:三浦博志(ヒマラヤ圏サパナ)

97年、ネパール初渡航で感じた、人々からにじみ出るしあわせ感。
その後のNGO活動で知らされた、途上国ネパールの実態などをお話します。
ほかにヒマラヤ圏の地理、歴史、民族の基礎解説と現地映像を上映します。

●3/17(日)13:30
●会場:幌加内町町民ホール http://goo.gl/maps/XrXlU
●参加無料
●主催:幌加内町教育委員会
●企画:ヒマラヤ圏サパナ

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3月4日放送の東西南北ソリマダン

東西南北ソリマダンは金時江(キム シガン)さんのラジオ番組です。FMさっぽろ村ラジオ、毎週月曜15:00~15:58。ヒマラヤ圏サパナ三浦は第1週に出演して、ヒマラヤ圏の話題を提供しています。

 

今日の放送

 

●ヒマラヤ圏の言葉:ネパール語で首はガンティ ghanti。ネパール語講座の講師 anilさんによれば、のどというネパール語は知らないとのこと。かぜでのどが痛い時は、ガンティが痛い、、というと聞いて皆びっくりでした。

 

●バングラデシュとドラえもん:バングラデシュでは、インドでヒンディー語吹き替えをされたドラえもんが放映され子どもたちの人気番組。しかし、子ども達がヒンディー語で話すようになり、母国語の衰退が心配されるということから放映禁止が決まった。バングラはイスラム教、インドはヒンドゥー教だが、その確執が根元にあるのだろうか。

 

●ブータンの幸福:ブータンは国民総幸福というユニークな指標や若き国王夫妻の来日で、ヒマラヤの桃源郷という論調で報道されている。しかし1980年代、南部のNepal系ブータン人たちが国籍の問題を問われ、国外へ流出。多くの難民が生まれた。一面的な見方だけでは、ブータンを語ることはできない。

 

ブータン地図

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Nepalのケラ

Nepalは寒いところ、、、と思っている人も多いようです。ヒマラヤをイメージしてしまうからでしょうが、南部のインド国境は標高が100m前後で、亜熱帯のジャングル地域です。そのため果物も豊富です。最近はcoffeeも栽培が進み日本でも販売されるようになりました。バナナのことをNepal語ではケラと言います。果物屋さんには、ケラが吊られてケラケラと蝶々のように揺れてます。

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Nepalのほろ酔い トゥンバ

パタンの居酒屋で
パタンの居酒屋で

蒸した褐色の穀物(名前不明)が入った木製のジョッキのようなものに、お湯を注ぐ。じっと見つめるとかすかにぷくぷくと泡が。やや待ってストローをくわえると、甘さとすっぱさがとてもうまくまとまった、あったか~いトゥンバが口に広がる。

 

このトゥンバはカトマンズ南にあるパタンの居酒屋のもの。なぜかストローがアルミでしたが、山の方では植物の茎のストローが使われます。茎のストローは泡と共にゆっくり上がってくるのが楽しい。とても軽い口当たりの酒で、そんなにアルコールを感じないんですが、2杯目の中ごろには あ ちょっとやられたかな。。と思えるような、うまい酔い方のできる酒です。お湯を注ぐのは3回まで。^^

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チベットの災禍がNepalへ

2009年以降 中国内でのチベットでは、チベット人への弾圧に抗議した焼身自殺が続いています。その数は100人になろうとしており、中国政府は自殺の扇動という容疑での逮捕も強化し、その数は減ってきているとされています。

そんな中、Nepalカトマンズでチベット人の焼身自殺がおこりました。

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憲法がない状態で5年目 ネパール

ネパールは2008年 王制から連邦民主共和制に移行しました。そして、その新憲法を作るため、2008年から4年間、締め切りを何回も延長して作業をしました。でも結局、政党の意見がまとまらず、新憲法はできませんでした。

憲法ないまま5年たっても国は続いたし、憲法など無視して伝統的慣習で世の中が動く国。このまま憲法なしでいくのかと思いましたが^^ 

しかし再び新憲法を作るための議員選挙が5月に行われることになりました。はたしてまた同じ混乱議会が再現されるのか?

大国がますます密かな支配を強めないことを望みますが・・

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今度は人食いヒョウ! ネパール

札幌円山動物園のヒョウ
札幌円山動物園のヒョウ

去年は殺人象、人食いヒョウに震撼したネパールでした。マハカリはネパールの西の端。観光客はまったく行かないところですね。

 

・・・ニュース転載・・・

ネパールで、人食いヒョウが射殺された。ネパールでは昨年、人食いヒョウによるとみられる襲撃で、10人以上が犠牲となった。AFP通信が18日、伝えた。

警察の情報によると、マハカリ川のほとりにある村に住む住民が、自分の牛小屋にヒョウを閉じ込めることに成功した。住民はその後、地元の猟師を呼び、猟師が壁の穴からヒョウを撃った。

ネパールでは2012年、ヒョウの襲撃が相次ぎ、主に女性や子供が犠牲となった。このヒョウの胸には、白い斑点があった。射殺されたヒョウの胸にも、白い斑点があったという。

・・・ここまで・・・

 

マハカリ川の地図

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憲法なくたって

水田のネワール族
水田のネワール族

王制が滅び連邦共和制に生まれ変わるため、2008年から新しい国の憲法を作ろう作ろう作ろうとしてきたネパール。話がまとまらず締め切りを何度も伸ばしてきてすでに4年!この5/27の締め切りも予想を裏切らず、タイムアウトとなりました。ここまでまとまらないと、爽快感さえ覚えます!

 

多くの事柄をヒンズーの神々、星占いで決めるpureな?国は、欧米のような近代国家の形にこだわらなくてもいい。これだけまとまらない精神文化を保っていることに誇りをすら持つべきです!世界精神化石遺産というような指定をして、他の国々が守っていくような価値があると思うんですが。旅行業者のための世界遺産などより、ずーっと価値あり!だと思うんですが。

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憲法のない国ネパール

パタン山車祭り
パタン山車祭り

2007年に王制が滅び、連邦民主共和国になろうとしたネパール。2008年には憲法を決める議員選挙が行われ、2010年に新憲法新国家ができるはずでした。が、旧来どおりもつれてしまい、さらに2年延長して2012年の5月を締め切りとしました。さてその5月27日が迫ってきました。今回は、もういい加減に決めよう!ということになったらしい、というニュースが流れてますが、さて??

写真は5月に行われる雨乞いの山車祭り。お祭りは見事な一致団結で盛り上がるんですが。。。

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中国の人は、ネパールビザが要らなくなった

ネパールのビザ
ネパールのビザ

もう一年以上前のニュースです。中国観光客はネパールに入国するビザが要らなくなったとのことです。日本人含めた外国人は$30(うろ覚え)くらいのビザが必要です。

 

これまでネパールは、チベット難民、ブータン難民を実に鷹揚に受け入れ難民村の場所を提供してきました。ヒマラヤを越えて亡命してきたチベット人たちは、ネパールにたどり着いて心身ともに一休みできた後、難民村やインドのダラムサラに向かいます。ところがここのところ、ネパール政府は亡命チベット人を中国政府に送り返すようになりました。今までの鷹揚でやさしいネパール人たちはどこへ行ってしまったのか??

 

ネパールの王制が崩壊してから、ネパールと中国はどんどん仲良しになっています。

以下、China Radio International.CRI(中国の放送局) のインターネットニュースです。

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中国、ネパールと国境観光の協力覚書に調印

2010-09-15

 中国(チベット)-ネパール観光連合委員会の第4回会議が14日午前、チベットの省都ラサで開催されました。

 双方は開会中、国境観光の管理、ネパールを訪問する中国籍観光客の査証免除、ネパールの首都カトマンズと中国チベットの省都ラサを結ぶ路線の回復、中国・ネパールの促進年などに関する覚書に調印しました。(万、丹羽) http://japanese.cri.cn/881/2010/09/15/144s163883.htm

 

 

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シッキム・ネパール・チベット地震

バクタプール(産経ニュースより)
バクタプール(産経ニュースより)

おととい夜の地震でネパール バクタープールにも被害が出ています。先日のブログで坂の町小樽のことを書きながら、バクタプールのことを思い出していました。小さな丘の上にひろがった町で、傾斜地に密集するレンガの建物の隙間を迷路の坂道が巡っています。小樽とバクタプール、町の歴史の長さはとんでもなく違いますが、坂道のそこここにある、居心地のいい空間は共通しています。初めてこの町を訪れた時みた街並みのレンガは、まるで、時間を焼いて作ったもののように見えました。1930年代にあった大地震では、バクタプール周辺も大きな被害を受け、ドイツ、フランスの援助を受け修復されました。今回の地震でもここに被害が出たようですが、世界遺産の町とは言え、住宅を復元することはたぶんできないでしょう。あの坂道の住宅景観がまた変わってしまうのは、残念・・ 産経ニュース

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10年前の 9・11同時多発テロ 東ネパール イラム

イラムを望む
イラムを望む

ネパールの首都カトマンズから、空路でインド国境に近いバトラプールに降りました。まっ平らなタライ平野から北に向かってジープで山と谷を超え5時間、やっとイラムの町が見える丘に着いたのはもう夕方。深い谷からは雲が湧き、その向こうの尾根にイラムの町が望めました。そこからジープはもう一度深い谷の底に降り、またつづら折りの泥道を何度も何度も曲がって登り、やっとの思いでイラムの町にたどり着きました。もう10年も前、2001年9月11日のことでした。枝さんとプラカスとの三人で行った、初めての東ネパール、イラムの旅です。続きを読む

イラムの町
イラムの町

1万数千人が暮らす、尾根づたいの町イラム。1996年から始まったマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)の活動は、イラムも拠点になっていました。贅沢を禁じるマオイストの指示で酒の販売も禁止され、町の食堂でも表向きには出してくれませんでした。いちおう^^

 

東電OL殺人事件の犯人としてゴビンダ・プラサド・マイナリさんに無期懲役の刑が下されたのは、2000年12月のこと。彼はここイラムの出身です。私達が訪れたころ、残された家族はこの町でつらい日々を送っていたのです。奇しくも今日2011年9月12日、支援者の力で来日した、彼の妻と親族が拘留中のゴビンダさんと面会しました。

望遠レンズで覗く茶畑で働く人影
望遠レンズで覗く茶畑で働く人影

イラムは観光地ではありませんが、紅茶の好きな人はこの地名を聞いたことがあるかも知れません。ここから東に15kmほど行くとインド国境があり、インド側には紅茶で名高いダージリン地域があります。イラム、ダージリンとも冷涼な、紅茶栽培に適した山地で、英国企業によって開発されました。イラム地域では、あらゆる斜面が茶畑にされていて、転げ落ちそうなほど急こう配の茶畑もあります。望遠レンズで覗いてみると、もこもこの茶の木の中に、そろりそろりと動く人影が見えます。

茶畑を背に姉と弟
茶畑を背に姉と弟

この地域の民族はライ族、リンブー族などの中間山地民族です。イラム近郊の村には、「ライ、リンブーの差別反対」という看板が掲げられていました。ネパール東北部に住むライ、リンブーの人たちは、シェルパ族のように商才に恵まれていなかったため、生活は貧しく他民族から差別を受けている人々です。チベット系の民族なので、シェルパ族同様、日本人とよく似た人々です。

馬の荷運び
馬の荷運び

イラムでは、カトマンズやポカラでは見られない、馬による荷運びが行われていました。私が行ったことのあるネパール国内では、アンナプルナ山群北側のチベット文化圏、ムクチナートでも馬が使われていました。またネパール国外では、中国雲南省北西部のチベット文化圏、梅里雪山山麓の地域でも同様でした。馬の荷運びの様子から見ると、イラムもチベット文化圏と言えるのかも知れません。今度行く機会があれば、馬に聞いてみようと思います。馬耳東風か^^

ヒンズー教の祈り1
ヒンズー教の祈り1

その夜9時ころ、イラムの町をぶらぶらし紅茶屋などをひやかしていると、合唱が聞こえてきました。その建物を覗いてみると、子ども、大人合わせて20人くらいがぎっしりと部屋の中で、テンポの良い祈りの歌を合唱していました。出入り口まで人が立っていて、肩越しに中を覗いてみると、壁にはヒンズーの神々が祀られています。ハルモニウム(置き型アコーディオン)とカスタネットのような楽器の伴奏で、合唱が続いていました。カトマンズ周辺では聞いたことのない、明るくのりの良い歌でした。やはり、途上国ほど中央と地方との違いがはっきりと感じられます。

ヒンズー教の祈り2
ヒンズー教の祈り2

歌の後のお祈りが終わると、新聞にくるんだ果物やお菓子が配られ、私達、旅人三人にも、神様のご加護があるであろう、その包みが手渡されました。ここに集まった人たちからは、純粋な信仰が感じられ、日本での新興宗教系の、勧誘の下心、、というものは微塵も感じられず、快くその包みを受け取りました。しかし、ロッジへの帰り道、枝さんは神様からの包みを捨ててしまいました。その夜から、彼は神様の容赦ない仕打ちを受け、帰国するまで激しく腹を壊すこととなりました。

翌朝9/12、ロッジの粗末な食堂に行くと、係のおじちゃんとおばちゃんが白黒14インチテレビをじっと眺めていました。小さな画面には高層ビルから黒煙が上がり、人影がハラハラと落ち飛び散っていく様子が写っています。映画のような映像の上下にはCNNの帯があり、それが映画ではなく現実のニュースであることが分かりました。何度も繰り返される映像に、おばちゃんが飽きたところで朝食を頼みました。ネパールの山奥、イラムの安宿に流れるニュースに全く現実感を持てないまま、大国の一大事にも無関係な、質素でのどかな朝食が始まりました。テレビは世界・株急落のニュースとなり、見たこともないような日本の株価も映し出されていました。

2001年は、ネパール王族殺人事件で王位を得たギャネンドラが、時代錯誤の専制国政を企て、その結果、2008年に王制を崩壊させるに至った初年と言える年です。この2001年は、USAにとっても極小国ネパールにとっても、国の行方が大きく変わった重要な年となりました。その瞬間と言える2001年9月11日に、世界の動きと隔絶されたイラムにいたことは、10年を経た今でも、とても奇妙な想い出として、深く残っています。


9・11アメリカ同時多発テロ事件発生時刻

米国時間    2011年9月11日8:46

ネパール時間 2011年9月11日19:31

日本時間    2011年9月11日22:46

 

カトマンズからイラムへ
カトマンズからイラムへ
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