10年前の 9・11同時多発テロ 東ネパール イラム

イラムを望む
イラムを望む

ネパールの首都カトマンズから、空路でインド国境に近いバトラプールに降りました。まっ平らなタライ平野から北に向かってジープで山と谷を超え5時間、やっとイラムの町が見える丘に着いたのはもう夕方。深い谷からは雲が湧き、その向こうの尾根にイラムの町が望めました。そこからジープはもう一度深い谷の底に降り、またつづら折りの泥道を何度も何度も曲がって登り、やっとの思いでイラムの町にたどり着きました。もう10年も前、2001年9月11日のことでした。枝さんとプラカスとの三人で行った、初めての東ネパール、イラムの旅です。続きを読む

イラムの町
イラムの町

1万数千人が暮らす、尾根づたいの町イラム。1996年から始まったマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)の活動は、イラムも拠点になっていました。贅沢を禁じるマオイストの指示で酒の販売も禁止され、町の食堂でも表向きには出してくれませんでした。いちおう^^

 

東電OL殺人事件の犯人としてゴビンダ・プラサド・マイナリさんに無期懲役の刑が下されたのは、2000年12月のこと。彼はここイラムの出身です。私達が訪れたころ、残された家族はこの町でつらい日々を送っていたのです。奇しくも今日2011年9月12日、支援者の力で来日した、彼の妻と親族が拘留中のゴビンダさんと面会しました。

望遠レンズで覗く茶畑で働く人影
望遠レンズで覗く茶畑で働く人影

イラムは観光地ではありませんが、紅茶の好きな人はこの地名を聞いたことがあるかも知れません。ここから東に15kmほど行くとインド国境があり、インド側には紅茶で名高いダージリン地域があります。イラム、ダージリンとも冷涼な、紅茶栽培に適した山地で、英国企業によって開発されました。イラム地域では、あらゆる斜面が茶畑にされていて、転げ落ちそうなほど急こう配の茶畑もあります。望遠レンズで覗いてみると、もこもこの茶の木の中に、そろりそろりと動く人影が見えます。

茶畑を背に姉と弟
茶畑を背に姉と弟

この地域の民族はライ族、リンブー族などの中間山地民族です。イラム近郊の村には、「ライ、リンブーの差別反対」という看板が掲げられていました。ネパール東北部に住むライ、リンブーの人たちは、シェルパ族のように商才に恵まれていなかったため、生活は貧しく他民族から差別を受けている人々です。チベット系の民族なので、シェルパ族同様、日本人とよく似た人々です。

馬の荷運び
馬の荷運び

イラムでは、カトマンズやポカラでは見られない、馬による荷運びが行われていました。私が行ったことのあるネパール国内では、アンナプルナ山群北側のチベット文化圏、ムクチナートでも馬が使われていました。またネパール国外では、中国雲南省北西部のチベット文化圏、梅里雪山山麓の地域でも同様でした。馬の荷運びの様子から見ると、イラムもチベット文化圏と言えるのかも知れません。今度行く機会があれば、馬に聞いてみようと思います。馬耳東風か^^

ヒンズー教の祈り1
ヒンズー教の祈り1

その夜9時ころ、イラムの町をぶらぶらし紅茶屋などをひやかしていると、合唱が聞こえてきました。その建物を覗いてみると、子ども、大人合わせて20人くらいがぎっしりと部屋の中で、テンポの良い祈りの歌を合唱していました。出入り口まで人が立っていて、肩越しに中を覗いてみると、壁にはヒンズーの神々が祀られています。ハルモニウム(置き型アコーディオン)とカスタネットのような楽器の伴奏で、合唱が続いていました。カトマンズ周辺では聞いたことのない、明るくのりの良い歌でした。やはり、途上国ほど中央と地方との違いがはっきりと感じられます。

ヒンズー教の祈り2
ヒンズー教の祈り2

歌の後のお祈りが終わると、新聞にくるんだ果物やお菓子が配られ、私達、旅人三人にも、神様のご加護があるであろう、その包みが手渡されました。ここに集まった人たちからは、純粋な信仰が感じられ、日本での新興宗教系の、勧誘の下心、、というものは微塵も感じられず、快くその包みを受け取りました。しかし、ロッジへの帰り道、枝さんは神様からの包みを捨ててしまいました。その夜から、彼は神様の容赦ない仕打ちを受け、帰国するまで激しく腹を壊すこととなりました。

翌朝9/12、ロッジの粗末な食堂に行くと、係のおじちゃんとおばちゃんが白黒14インチテレビをじっと眺めていました。小さな画面には高層ビルから黒煙が上がり、人影がハラハラと落ち飛び散っていく様子が写っています。映画のような映像の上下にはCNNの帯があり、それが映画ではなく現実のニュースであることが分かりました。何度も繰り返される映像に、おばちゃんが飽きたところで朝食を頼みました。ネパールの山奥、イラムの安宿に流れるニュースに全く現実感を持てないまま、大国の一大事にも無関係な、質素でのどかな朝食が始まりました。テレビは世界・株急落のニュースとなり、見たこともないような日本の株価も映し出されていました。

2001年は、ネパール王族殺人事件で王位を得たギャネンドラが、時代錯誤の専制国政を企て、その結果、2008年に王制を崩壊させるに至った初年と言える年です。この2001年は、USAにとっても極小国ネパールにとっても、国の行方が大きく変わった重要な年となりました。その瞬間と言える2001年9月11日に、世界の動きと隔絶されたイラムにいたことは、10年を経た今でも、とても奇妙な想い出として、深く残っています。


9・11アメリカ同時多発テロ事件発生時刻

米国時間    2011年9月11日8:46

ネパール時間 2011年9月11日19:31

日本時間    2011年9月11日22:46

 

カトマンズからイラムへ
カトマンズからイラムへ