サパナは、ヒマラヤ圏の異文化を紹介しています。
Sapana Group introduces different cultures in the Himalayan region.
ヒマラヤ圏や辺境地の地理・歴史・民族・風習・情勢を現地映像とともに紹介
音楽、舞踊、絵画にこめられた、多民族の信仰、風俗、歴史
チベットの民話や音楽・舞踊プログラムを通して異文化にふれる
日本語と同じ語順のネパール語。ナマステ サンツァイツァ?
5~4000万年前、大陸移動でインドの大陸が、チベットの下に潜り込みました。チベットは押し上げられ高原になり、インドとチベットの境目はヒマラヤ山脈となりました。これらの高い地形は、日本の梅雨、寒気団の発生源となりました。
ヒマラヤ山脈の北側はチベットの仏教圏、南側はインド・ネパールのヒンズー教圏となり、ヒマラヤ山脈は宗教文化の境目となっています。
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ネパールの国土は北海道の2倍弱。インド側は標高70m、チベット側は標高8800mで、標高差世界一の国。ヒマラヤ山脈から生まれるモンスーンの恵みを受け、農業を生業としてきた。ヒンズー教と仏教が共存し、信仰を基盤とした社会。100を超える民族が共存する多民族国家で、外国語の習得能力が非常に高い民族。
■ネパールひとめぐり
ブッダ降誕の地ルンビニ、インド古街道の農村、アンナプルナ連峰に抱かれた山村、ネパールで最も美しい古都、エベレスト街道を辿る
チトラン村~カトマンズ南西にある、インド・カトマンズ間の古街道の農村。ネワール族の村。
ダンプス村~朝日のアンナプルナ連峰、ヒマラヤを望む小学校、グルン族の子どもたち
バクタプール~ネパールで最も美しい世界遺産古都。大地震にも耐えたニャタポラ寺院とヒマラヤ山脈
山車祭り~5月雨季直前に始まるパタンの山車祭り。恵みの雨を祈る祭りで、巨大な山車を何日にも亘り曳き回る。
カトマンズからセスナでルクラ空港へ。トレッキングでエベレストをめざす。シャンボチェの丘~夕日に染まるアマダブラム峰からエベレストを展望。
■ネワール族・大震災復興
100以上の民族が共存するネパール。ネワール族、チベット系民族など多様な民族のくらしやヒマラヤの大景観。また、2015年大地震で大きな被害を受けた、世界遺産の古都の復興状況など。(2018年2月取材)
ネパールとチベットの国境にそびえるマナスル・アンナプルナ連峰。山奥に延びていく車道、トレッキング事情と山間民族の暮らし。
ネパール文化を作り上げたネワール族の料理、舞踊や家族インタビュー。
辺境のチベット系民族のためのチベット仏教の小学校。
2015年の大地震で被害を受けた世界遺産古都パタン、バクタプール。復興工事で変貌していく街並みや、仮設住宅の被災者の様子。
チベットの国土は日本の6倍、平均標高は4000mを超える。空気は薄く乾燥しているため、青稞麦が主作物で、ヤクや羊の遊牧も古くから続いている。チベットの北部は大草原が広がるアムド、南東部は険しい横断山脈のあるカム、南西部は都ラサを持つウツァンと呼ばれる。8世紀にインドの仏教を国教とし、その教えを軸にした敬虔な信仰生活が今も続いている。
■チベット・ラサ近郊を巡る
チベット南部のラサ周辺、南東部の雲南、チベット北部のアムドを巡る。2002年~2016年
歴代ダライラマの住処であるポタラ宮。伝説の釈迦牟尼像を祀るジョカン寺では巡礼者たちが五体投地を捧げていた。
ラサ市北部にある15世紀創建のセラ寺。境内には、経典の理解度を確かめ合う問答修行の大声が、響きわたっていた。
標高4200mの山奥にあるシュクセ尼寺へ。文革で建物、経文すべてが破壊されたこの寺にも、たくさんの尼たちの読経が響いていた。
カイラス山を源流点とするヤルツァンポ川。巡礼者たちと共に渡し舟で川を渡り、対岸のサムィエ寺へ向かう。
8世紀に建立された、チベット初の僧院サムィエ寺。仏画の曼荼羅を形にした寺院として知られる。
■チベット・アムド~聖山アニマチェン
西寧から南西に進みサンタラ平原、セルゾンゴンパを経由して、チベット仏教の霊峰アニマチェンを目指す。帰路、タール寺へ。2016年10月
西寧を出て、青海湖南部に広がるサンタラ平原を抜け興海市へ向かう。冬枯れの大草原に羊たちが群れている。
標高3600mにある1301年創建のセルゾンゴンパ(賽宗寺)。巨大な岩塔の麓に張り付く寺院群。その岩塔を周る巡礼路を、仏教徒たちが五体投地で巡り続ける。
崑崙山脈の東端に位置するアニマチェン峰。標高5200mの山麓では、仏教徒たちが強風の中、祈りを捧げていた。山脈を周る巡礼路は180kmあり、多くの巡礼者が集う。しかし、ここにも高速道路が延び巡礼路を破壊していく。
ツォンカパ(チベット仏教ゲルク派の開祖)の生地に建つタール寺。1300年代から建立が始まったとされる壮大な寺院群。3~4000人以上の僧がいたが、文化大革命後は多くが他寺へ移動。多くの観光客の中を、五体投地の巡礼者が巡っていた。
チベット南西部に接する雲南省は、ヒマラヤ褶曲部の西端にある。険しい地形に25の少数民族が暮らす。チベットに接する地域には、チベット仏教の聖山、梅里雪山がそびえ、巡礼者が後を絶たない。また雲南南部の茶葉をチベットに運んだ「茶馬古道」の名残や、珍しい婚姻風習を持つモソ族の村など、興味深い地域。2005年
■チベット仏教の聖山・梅里雪山へ
雲南省がチベットに接する北西部には、チベット仏教の聖山、梅里雪山がそびえる。霊峰の周りには、険しい巡礼路が巡っている。昆明からシャングリラ、梅里雪山を望む飛来から雨崩村、ジャワリンガ山麓の神爆の滝を巡る、2005年
飛来から朝明けの梅里雪山を望む。メコン川を渡り西丹温泉から3720mの峠を越え雨崩村へ。
下雨崩村から氷河谷の向こうにジャワリンガ峰を望む。その麓の瀧まで伸びる巡礼路を辿る。
パドマサンババ所縁のお堂に立ち寄る。3人の尼がお堂を守っていて、突然の訪問者に昼食までふるまってくれた。
尼たちに見送られ、ジャワリンガの真下にある神爆の滝へ。村の家族が、祈りを捧げていた。
2022年10月15日
20年前、チベットのラサ周辺を回ってきました。ポタラ宮、サムエ寺や山奥の尼寺などを巡りました。ただただ広く標高の高い蒼い空の高原に、今まで見たことのないもの不思議なものが、あちこちにひそんでるような場所でした。酸素は少ない方が良いのかも知れません。
ラサから帰国したのは、20年前の今日10月15日。その日の午後、羽田上空までは来たんですが、旋回ばかりしていて着陸までにずいぶん時間がかかりました。実はその時、北朝鮮拉致被害者の人たちの到着時間だったと後で知りました。毎年この日、この報道を聞くたびに、晴れた羽田空港の上空と、チベットの蒼い空を思い出します。
2022年4月4日
ネパールの鉄道が再開通というニュースです。
1937年にインドからジャナクプルまで鉄道が作られました。地図右下の赤線部分です(地図拡大できます)。その後、点線部分まで延伸されましたが、2014年からインドの路線幅に合わせる(広軌)鉄道工事が開始。先日4月2日に、やっと赤線の実線部分が開通したそうです。
ちなみに、1950年代までは地図の左側の点線位置、インドのラクソウルからネパールのビルガンジまで50kmくらいの鉄道があったそうです。カトマンズまで伸ばす予定だったらしいですが、頓挫となったようです。
そういえば、中国がネパールに鉄道を通す、というニュース、最近流れてきませんね。チベットからランタン地域を経由してカトマンズまで鉄道を通すということですが。それについては過去ブログをどうぞ⇒エベレストに穴をあける