2015年1~6月

ネパール人難民認定~続き

 前回ブログ で、ネパール人初の難民認定について書きました。

 

元国王派のネパール人夫妻が、反国王派から迫害をうけ来日。5年かかって難民認定を受けたという朝日新聞のニュースを元にしました。

 

ニュース

朝日新聞デジタル4/24

朝日新聞デジタル5/29

 

迫害側のマオイスト(毛沢東主義は)は2006年の王制廃止後、他政権とも和合し政権にもつきました。つまり、認定の理由になる状況はとうに無くなってるはずなのに、なぜ???

 

ということで、あるネパールの人に聞いてみたところ、こんな返事でした・・・

「調査不足の日本側が悪い。現在の状況で、国王派だったというだけで迫害されることはあり得ません。」

 

この夫妻は2010年に認定申請をした際、「和平プロセスは進んでいる」とのことで却下されたそうです。当時はマオイスト含めた新憲法制定の議会が進んでいたので当然といえます。それなのに5年たって受理された理由は何なんでしょう??現在、内戦中のシリア人4人が難民認定を却下され、認定訴訟を起こしている状況を見てもどうも腑に落ちない・・・

 

写真:ネパール大地震震源地のバルパック村。この村出身のディワカル・タパさんが今月撮影。

 

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ネパール人初の難民認定?

ネパール人が初めて難民認定を受けたというニュースを今日見つけました。

 

ネパールでは2001年からギャネンドラ国王の暴政が始まりました。当時は、マオイストのゲリラ破壊活動が問題になっていましたが、マオイストも他党と一緒に国王に立ち向かい、ついに2006年に王制廃止。その頃、今回難民認定を受けた男性は、国王派の党員だったためマオイストに拉致、拷問を受けたそう。迫害を逃れ、2007年に来日。2010年に難民申請したが今年やっと認定を受けられた、ということです。

王制崩壊の道筋

 

でも・・・

2006年王制廃止後、マオイストは政府と和平協定も結び、破壊活動は終え、その後政権にもつきました。悪名高いギャネンドラ元国王は国内に住むところも与えられ、たぶん隠し財産でそれなりの生活を送っていると想像・・・。ネパール人やさしい・・・。

 

ということで、ネパール国内で元国王派への迫害はもうないと思うんですが・・。

日本は難民認定の壁が高く、昨年は5000人申請してわずか11人認定。(ドイツは10万人認定!)

もっと深刻な政情不安の国はあると思うけど、今なぜこの認定がされたのか??

 

ネパールの知人に、元国王派がどんな状況か聞いてみなくちゃ。

写真:2001年王族11人殺人事件後、王位につくギャネンドラ国王(当時)

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Prakashからのメッセージ

Prakash kaji Dangol(プラカス・カジ・ダンゴール)は2000年のネパールツアーでガイドをやってもらって以来、二度の民族舞踊招聘公演絵画交流事業などの現地調整、通訳などとても重要な仕事をしてもらっています。


Prakashからのメッセージです。

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雨季せまる~ネパール地震

ネパールでは5月下旬から、インド洋の湿った季節風が吹きヒマラヤ山脈にぶつかって大量の雨が降り始めます。これはモンスーンと呼ばれ9月下旬まで続きます。写真は5月初め雨季の直前に行われるパタンの山車祭り。モンスーンは大事な田植えの季節で、その恵みの雨を祈る祭りです。


しかし今年の山車祭りは大地震のため中止です。そして恵みの雨となるはずだったモンスーンは、緩んだ地盤や、ひびの入った建物の崩壊の原因となることが心配されています。


写真の山車は、パタンの街中の10数箇所の伝説のあるポイントを2週間~1ヶ月くらいかけて、大勢の男たちによって曳き回されます。各ポイントの山車の出発日は星占いで決めるため、お祭りの期間が一定ではありません。山車を曳く者たち、それを取り巻く観衆たちの息遣いを、今年は聞くことができません。

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5・12巨大余震~ネパール地震

5/12 また大地震が起きてしまいました。


ネパールに行くときは、カトマンズで旅行代理店を営んでいるシェルパ兄弟一族にお世話になります。彼らの故郷はソルクンブで、今回の震源地とエベレストの中間くらいにあります。恐らく前回より震度は大きいのでは?と想像するのですが、情報はまだ入ってきていません。

その兄弟の一人Karma Sherpaは教育支援のNGO  The Small World

を運営しています。4/25以降、被災者支援に懸命でしたが、またひとつ難しい状況になりそうです。


写真はAFPニュースより

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スワヤンブナート被災~ネパール地震

スワヤンブナート(Swoyambhunath)の被災状況の写真がありました。

カトマンズ、パタン、バクタプールの三都がある地域は周囲を2000m以上の丘(山とは言わない)に囲まれた盆地です。そこには次のような伝説があります。


「太古、カトマンズ盆地は湖で中央に小島があった。そこに大日如来が現れ、チベットからインドへ向かう文殊菩薩が立ち寄った。そこで文殊菩薩は、湖にすむ蛇の悪行を鎮めるため、南側のチョバールの丘を切り崩し、水と蛇を流した。そして小島の頂にスワヤンブナート寺院が建立され、水のひいた盆地には人々が住み始めた。」


盆地がかつて湖で、チョバールの丘が崩壊したことは地質学調査で明らかになっています。今回の地震は、かつて水底だった軟弱な地盤が被害を大きくしたこともわかっています。

この伝説が語るように、スワヤンブナートはヒマラヤ圏最古の寺院といわれ、ネパールを象徴する寺院です。

写真は絵葉書を拝借。スワヤンブナートのかなたにヒマラヤが。

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サパナの救援募金~ネパール地震

2004年舞踊公演チームの現地練習風景
2004年舞踊公演チームの現地練習風景

大地震から2週間が過ぎました。各国救援隊も引き上げが始まっています。救援募金も世界中の各団体で行われています。募金先リスト

サパナでは、ネパール全体への支援は大きな団体に任せると考えて、これまでのプログラムでつながりのできた人たちに直接届ける救援募金を進めています。

そのプログラムは、次のものです。

2001年舞踊公演(サンク・エバーグリーン校の生徒たち)

2004年舞踊公演(ヌチェ先生のチーム、パタン・ジャプのチーム)

スタディツアー


日本側で関わってくれた人たちには連絡をしましたが、連絡いってない方、また関心のある方は、お問合せからご連絡ください!

写真上:2004年舞踊公演チームの現地練習風景

写真下:2001年舞踊公演チーム

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ネパール サンクの状況

Kishor Ranaさんがネパール・サンクの被災状況写真をアップしてくれました。残念ながら、見覚えのある町並みが倒壊しています。

http://goo.gl/VVB8sC

 

2000年の年末、サパナ主催のツアーでサンクのevergreen schoolを訪問しました。それが縁で

2001年に生徒たち(9~16歳)の舞踊グループを招聘し北海道内で公演、また絵画で優秀な生徒やネパールの画家を招聘し絵画交流事業を行いました。

 

その後もツアーで何度か村を訪れ、いろいろ思い出のある町並みなだけに、とても残念な思いです。

 

写真:2001年ネパール音楽舞踊公演 滝上町(たきのうえちょう)公演

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4.25ネパール大地震~建物は?

ネパールの町場の住宅は、レンガ造3~5階くらいのものが多く、隣戸と接して建てられています。窓、ひさしは細かな木工細工で作られます。西欧の組石造では窓枠の上部に石を渡し壁の補強材とします。ネパールでは、その部分が木材のため、弱点となるでしょう。

 

寺院などでは、1階のレンガの上に大きな木材の梁を渡して、その上に2層目のレンガを積むという、日本の感覚では信じられないような構造もあるようです。梁のサイズを大きくすれば重いレンガも支えられるでしょうが、やはりこれも構造的には弱点になるでしょう。

 

バクタプールやパタンなどのレンガの町並みは、どこまで歩いても飽きることがない素晴らしいものです。どの程度の損傷があったのか・・・

 

写真:サンク村 ネワール族の民家が続く

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4.25ネパール大地震~ディワカル・タパ

大阪でレストランを経営しているディワカル・タパさん。彼の故郷はネパール・ゴルカで、今回の震源地直近です。当日、田舎のお母さんの無事は確認できたそうですが、詳しい情報は入らずという状況。30日に急遽帰国し、インドで物資を調達してゴルカに向かうとのことです。お店には地震後、義捐金が届けられ、それも現地に届けるとのこと。

 

・・・彼と奥さんのまゆみさんと知り合ったのは2004年、ネパール舞踊公演の関西開催を引き受けてもらったのが縁でした。彼が小さなレストランを開店したばかりの時でした。その後、順調な経営で大きなお店となりました。その後ネット上だけのやり取りでしたが、この3月に家族と共に北海道に来て、11年ぶりに再会できました。あったかい5人家族と楽しいひと時を過ごしましたが、まさかその1ヵ月後にこのような大惨事が起こるとは。それも彼の田舎が震源地となって・・・

 

昨日ブログで、赤十字などの募金先掲載しました。もし義捐金を考えておられる方は、ディワカル・タパさんも責任を持って届けてもらえる方です。彼のサイトで連絡先等をご覧になってください。

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4.25ネパール大地震~救援募金先

発生から24時間が過ぎました。私たちのネパールの知人たちとは連絡が取れ、無事が確認できました。しかし、余震で建物の倒壊が考えられ、夜は道路で毛布にくるまっている人が多数いるようです。雨季の時期でなかったことは不幸中の幸いといわなければなりません。

今日26日午後、日本の国際緊急援助隊70名がネパールに出発しました。外務省、警察庁、JICA(国際協力機構)、東京消防庁などによるチームです。日本赤十字社も今日、スタッフ5人が出発し、現地調査で救援内容、規模を決めるそうです。


写真:バクタプール王宮広場夕景

 

救援募金窓口も開設されています。

 

IFRC(国際赤十字赤新月社連盟)

British Red Cross(英国赤十字社)

国際連合世界食糧計画(WFP)

Yahoo!ネット募金  募金先は被災地域の支援活動を行う団体を予定

日本赤十字社  窓口開設準備中

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4.25ネパール大地震~予測された災害

ヒマラヤ山麓ネパールでは近いうちに大地震が起きると言われていました。

 

●予測のポイントは・・・

1.ヒマラヤを作り出したプレートの衝突地帯

2.これまでの発生周期年数からの予測

 

●災害を拡大させる要因として・・・

1.防災計画、建築規制の皆無

2.カトマンズ盆地は古代に湖だったので地盤が軟弱

 


写真:ネパールで最も美しい古都バクタプールのバイラブ寺院。1934年大地震で倒壊、再建された。今回は無事だったが、右側の低層建物が倒壊。

 

予測に関する論文がありました。リンクから読めます。(図がぼけてて分からないのが難点・・・)

『中部ヒマラヤ巨大地震とカトマンズの危機』
吉田勝:ゴンドワナ地質環境研究所(和歌山県橋本市)

B.N.ウプレティ:トリブバン大学トリチャンドラキャンパス地質学教室(ネパール王国カトマンズ市)

 

抜粋: カトマンズ盆地地盤の耐震脆弱性は、市内の多くの老朽建物と劣悪な新ビルディング、さらに狭い道路と無計画・無秩序な都市構成と相まって、カトマンズを南アジアで地震に対して最も危険な都市にしています。そのうえ上記のように、カトマンズは世界で一番巨大地震に晒される危険に面した都市の一つでもあります。もし1934年のネパール・ビハール地震と同強度(M8.3で、カトマンズの震度はV~VIであった-図4参照)の地震がカトマンズを襲ったならば、カトマンズの受ける打撃は大変なものと推定されています。

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4.25ネパール大地震

日本に住むネパールの知人の田舎は震源地にかなり近い、ゴルカ。現地家族は無事とのことがわかったそうですが、詳しい状況は入ってこないとのこと。


写真はバクタプールの様子。左奥にニャタポラ寺院。ネパールで最も高く30m。1934年の大地震でも倒壊しなかったが、今回も無事だったらしい。

写真はYama Buddha サイトより

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2015年4月14日ネパールの新年

昨日4/14はネパールの公式の元日。民族により違う正月がありますが、いちおう公式の正月。


画像はネパールでお世話になっているKarma Sherpa のFBから拝借。


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エベレストに穴をあける

青蔵鉄道がラサに乗り込んでから9年。その後、ギャンツェまで延伸。膨大な異民族、資本を運びこみ続けて居る。中国は、ネパールにまで鉄道を伸ばすといわれていたが、ついにこんなニュースが。中国政府はエベレストの下を通ってネパールと結ぶことを検討中と。

2020年までにはネパール国境まで延伸させる計画らしいが、エベレストの下を潜り抜けるのには何年かかるのか。それまで中国という国は継続し続けるのか。

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ニュース元

【北京AFP=時事】世界最高峰エベレストの下をトンネルで通り、中国とネパールを結ぶ鉄道の開設を中国政府が検討していると、9日の同国国営メディアが報じた。(写真はチベット・ラサから北京へ向けて走行する列車)
  中国政府は現在、インドが完全に自国の勢力範囲にあるとみなしているネパールとの関係を構築している。青海省の省都とチベット自治区のラサはすでに「青蔵 (青海チベット鉄道」によって結ばれているが、中国国営英字紙チャイナ・デーリーは中国工程院の専門家の話として、ネパール国境までの路線延長が「ネパー ルの要請により」計画されていると伝えた。同紙が引用したチベット当局の高官は、2020年までの完成を見込んでいると述べている。
 中国の王毅外相は昨年12月にネパールの首都カトマンズを訪れた。ネパール側の報道によれば、新路線は最終的にカトマンズやその先にまで延長され、巨大市場であるインドと中国をつなぐ重要路線となる可能性も秘めている。
  一方チャイナ・デーリーは、そのような計画では、エベレストの下にトンネルを建設する可能性もあると伝えている。専門家の王梦恕氏は同紙に対し「路線はお そらくチョモランマ、(エベレストのチベット名)を通り抜けなければならない。作業員たちは非常に長いトンネルを掘ることになるだろう」と語った。同氏 は、「著しい」高低差の変化があるヒマラヤの地形では、カトマンズへ乗り入れる列車はどれも最高時速120キロにとどまるだろうという。【翻訳編集 AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2015/04/10-16:51)

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今度はサイが大暴れ!?

これまでに象やヒョウの被害のニュースがありましたが、今回はサイ。

ネパール南方30kmほどのマクワンプールの街中にサイがあらわれ、暴走。一人が死亡とのことです。

マクワンプールはここ

ネパールの北側は8000mのヒマラヤですが、南部国境はインドに接していて、標高は100~200mの亜熱帯。ジャングルには象、サイ、ヒョウなどが生息し、いくつかの動物保護区、国立公園があります。事故があった地域はチトワン国立公園に接しています。ネパールではもっとも有名なところで、多くの観光客が象に乗ってジャングルをめぐっています。サイは比較的発見しやすい動物です。今回の事故は公園から散歩に来たんでしょうか?映像を見ると、てくてくと歩いてますが、叫び声やクラクションがけたたましく聞こえます。たぶん、それに驚いて暴走したのでは?最終的には、公園に戻ったそうですが。


これまでのブログ

今度は人食いヒョウ! ネパール
ネパールの殺人象



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北朝鮮違法労働者 ネパールから国外退去!

先日のブログで紹介した、ネパールでの北朝鮮違法労働者54名は強制退去となったそうです。


北朝鮮の「南南協調総会社」が受注した水力発電の工事現場でのこと。北朝鮮の会社が受注していたというのはびっくりですね。賃金は会社から政府にわたり、ピンハネされた上で政府から労働者に払われるという仕組みにもびっくりです。いろいろびっくり!!の国北朝鮮。

ニュース元サイトはJAPAN Daily NK。北朝鮮情報サイトでアメリカにもあるようです。

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ヒマラヤ登山は偉業?

エベレスト登山口はネパール側とチベット側と2箇所あります。チベット側では、今年から環境保護費というものを200ドル/人 取ることになったそう。ヤク(牛を真っ黒にして大きくした感じ)を連れてのごみ掃除だそうです。また、ネパールでは登山者が排泄物8kgお持ち帰り、という規則が作られるとのこと。ヒマラヤ登山は偉業とも言われるけれど、汚染源となっていることは間違いなさそう。写真はエベレスト街道のマニ車。シェルパ族が多く済むこの地域はチベット仏教圏だということがわかる。

ちなみにこれまでの登山料は次のとおり。
●ネパール側
7名以上のチーム…10,000ドル/人(120万円)単独登山…25,000ドル(300万円) ※この他ごみ処理費加算あり

●チベット側
2名以上のチーム…5,500ドル/人(66万円)単独登山…10,000ドル(120万円)

環境保護費のニュース元 http://www.xinhuaxia.jp/social/63335

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『チベットの祈り、中国の揺らぎ』

本のご紹介。

アメリカ(たぶん)の新聞記者が中国を取材して書いた本。

電話盗聴や監視の元での取材だったとのことです。


画像リンクから、紹介元サイトへいけます。

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チベット ヤルツァンポ川ダムの秘密?

先日ヤルツァンポ川ダムのブログを書きましたが、渡辺一技さんの「消され行くチベット」に そのダムの事が書かれていました。

写真:ヤルツァンポ川を渡し舟で渡り北側対岸に(2003年)


 

-----抜粋----

・・・各地で水力発電所は建設されているが、2011年に行ってきたコンボでも、ヤルツァンポ上流の大きなダムが建設されるところで、住民は既に他の地へ移住させられていた。ダム建設のために地域の人たちが聖山と崇めてきた山がひとつ、そっくり切り崩されていた。工事現場には「武警水電部隊」と記した立ち入り禁止の柵が設けられていた。水力発電所の工事は中国人民武装警察隊という軍隊に等しい組織が管轄しているのだ。「崩された山はソンツェンガンポ王の縁の山だったから、何かが埋蔵されていたか天然資源があるのだろう」と、チベット人は言う。・・・

 『消されゆくチベット』 (集英社新書) 渡辺 一枝 (著)

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ネパールに海外出稼ぎ!?

北朝鮮からネパールへ、観光ビザで行った連中が、違法就労!


ネパールは国民の海外出稼ぎによる送金で成り立っているところがあります。インドもかつてはそうでした。2011年送金額は42億ドル(4,200億円)、2012/13年度の国家予算54億ドル(在ネ日本国大使館)ということで、国家予算に匹敵する送金額。海外出稼ぎがなければやっていけない国です。しかしそのネパールに海外出稼ぎに行くとは。インドの最貧困層もネパールに出稼ぎに来ていますが、この北朝鮮のケースのように組織的(おそらく国策・・)なものがあるとは驚きです。中国が公共工事を増やしているという背景もあるでしょう。 写真:パタン山車祭りの燃える男たち


ニュース元 

北朝鮮の建設労働者54人、ネパールに違法派遣 2015年02月11日 中央日報日本語版 

  北朝鮮が建設労働者54人をネパールの工事現場に違法に派遣して労働者の安全が憂慮されると米国自由アジア放送(RFA)が11日、現地日刊紙アンナプルナポストを引用して報道した。 放送によれば北朝鮮労働者54人は先月、観光ビザでネパールに入国した。彼らはネパール北部山間のSindupalchok地域に移動して水力発電所用トンネルの発破工事に投入された。放送は彼らが北朝鮮軍の服務当時に爆発物を利用して発破作業をした爆破専門家たちだと伝えた。彼らは北朝鮮の労働者の海外派遣専門業者とネパール現地企業の間の契約を通じて工事現場に就職したと分かった。 続き


出稼ぎに関するこれまでのブログ

ネパールの世話 सेवा ?

海外在住ネパール人協会?

ネパールの出稼ぎ

シェルパの出稼ぎ

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6歳の少女がヒマラヤを越える

チベットの少女ヤンドル6歳が父親と、ヒマラヤを越えて亡命した時の写真が出ていました。ドイツ人写真家がラサから同行し撮影したもの。標高5700mの峠を越えた亡命は成功し、亡命先でダライラマの前ではにかむヤンドルの表情がいい。彼女が成長した姿も実に色々考えさせられるスライドショー。 
写真だけはこちら→ https://www.explora.ch/programm/flucht-aus-tibet  

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鳥葬

半年ほど前、Youtubeで鳥葬の動画を見つけました。外国人が最近撮ったものでしたが、このような動画公開はどうなんだろう??としばし考えました・・。

 

そして先月、ある日本人のチベット旅行記を読んだのですが、そこに鳥葬のことが書かれていました。チベット人のかなり親しい知人が亡くなり、その鳥葬に立ち会った時のこと。ふつうは近親者以外参列はできないので、家族に頼み込んでの参列となったそうです。


語り笑いあったあの知人が、目の前でばらばらになっていき、掛け声とともにハゲワシが押し寄せ、争いあいながら知人の足を食いちぎり、臓物を引っ張り出していく。骨も砕かれ知人の全てはハゲワシに収まって空へ飛んでいく・・・その情景の中で筆者は、鳥葬の本当の意味を感じたそうです。

 

写真は動画の1シーン。鳥葬場のハゲワシ。

 

そして先週こんなニュースが。

 

チベットで「鳥葬」絡みの立法措置・・・好奇心で見物の観光客に現地住民の不満高まる
サーチナニュース2015-01-23 13:51
 チベット民族の間で長らく行われてきた、死者の遺体を鳥に食べさせる「鳥葬」について、新たな立法措置を講じることになった。観光客が「鳥葬」の現場に押しかけることが多くなり、現地住民で不満が高まっていた。これまでも「行政規則」として禁止していた見物や撮影などを立法措置により改めて禁止する。新華社などが報じた。

続きはこちら

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さすがネパール!憲法、8年間決まらず

王制から連邦共和制への国となるため、憲法作りを始めてから8年目。またまた時間切れとなりました。


2006年 王制廃止

2008年 制憲議会スタート(連邦共和制の新しい国の憲法を4年内に作る議会)

2012年 制憲議会4年間もめ続け、時間切れ解散。憲法できず。

2014年 再度制憲議会スタート。期限は1年!

2015年 時間切れでまた憲法できず・・・



でも、8年間暫定憲法でやってこれてるんですから、そのままでもいいかも知れません。日本は憲法ありますけど、解釈変更!ってことだけで意味変わってしまう程度のものなんですからね。


これまでの議会関連のブログ

ネパール 懲りない制憲議会選挙

ネパールの13年を30秒で

憲法がない状態で5年目 ネパール

憲法なくたって

憲法のない国ネパール

政治が合わない国


写真はニュース元より。Vサイン出してるのは野党議員なんでしょうけど、ちょっとそれは。。女性議員がこんなにいるとは知りませんでした。

 

ニュース元時事ドットコム

憲法制定、期限切れ=ネパール
 【ニューデリー時事】ネパール制憲議会は22日、この日までとしていた憲法草案の起草期限切れを迎えた。与野党の主張の隔たりが埋まらなかったためで、新たに期限設定し、残り任期内で草案作成を目指す。
 野党は「憲法は各党の総意に基づいて決められるべきだ」と主張し、投票で決めようとする与党に反発。ネムバン制憲議会議長は「政党が公約を守らなければ、国民の信頼は得られない」と野党議員の説得を試みたが、失敗に終わった。(2015/01/23-21:20)

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モソの人々

知人から1/19 東京テレビの未来世紀ジパンクという番組で雲南モソ族が取り上げられるとの情報ありました。が、録画ミスで見逃しました・・ざんねん。その翌日、こんどは他からモソの映画情報が。


中国雲南省の瀘沽(ルグ)湖周辺に住むモソの人々。民族上はナシ族に含まれるため、モソ人と呼ぶ方がいいようです。ただ、中国の民族分類もかなりあやふやなもの、というのは聞いてますが。。


映画情報は・・・イタリア人が制作した「女の国 母として統べる」。1/30、東京のイタリア文化会館で上映されるそうです。無料予約必要。


モソの人々は通い婚、女系社会で知られる人々です。2007年に行きましたが、なめらかな湖面の瀘沽湖、その中央にある小島までの渡し舟がなつかしく思い出されます・・写真は船着場にいたモソの親子。(撮影:曾根さん)


上映会予約先はこちら

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自動車は担いで運ぶ

ネパールには1930~1940年ころ自動車が運び込まれました。でも、そのころのネパールにはカトマンズの街中にしか広い道路がなかった・・。インドからカトマンズまで、自動車を担いで運んだのが、チトラン村の男たちでした。チトランはカトマンズから南西15kmくらいにある村。街道に沿って長く伸びる水田の広がる農村です。


写真は今も残るその頃の街道。石が敷き詰められています。ここをおみこしのようにして自動車を運んだんですね。村人たちの生活道路で、カトマンズへの経路です。ここから1時間ほど上って2000m超の峠、そこからは遠くヒマラヤが見えます。道はそこから一気に下り、2時間ほどでトリブバン国道に。そこからバスに乗ってカトマンズへは30分ほど。


というのは、この写真を撮った2003年の頃のこと。その頃この傍らで工事中だった九十九折道路が、すでに完成しているようです。村人の生活もずいぶん変わったことでしょう。


自動車を運んだチトラン村古老のインタビューありました→ニュース元

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チベット高原は広がりつつある?!

チベット高原は拡大中というニュースです。

ニュースといっても1000万年前からのニュースですが。。

2億年前、インドとチベットは離れていました。その後北上するインドがチベットの下に潜り込み、チベットを押し上げて平均標高4000mの高原となった、というのは定説です。


で、そのチベット高原が広がりつつある!というニュース。つまり、押し上げられた高原が自重で低きへ広がりつつある、ということらしいです。泥を高く積み上げれば次第に沈降するのを想像すれば、まあイメージできますよね。


インドは今も時計回りをしながら北上しているので、東方と北方へ拡大しているという現象もインドのおかげのようです?


※ニュース元 はnature日本版を出しているネイチャー・ジャパン(株)のサイト

※写真はチベット南東部のカム地方(雲南省徳欽)。チベット特有の木のない山肌に穿たれた道。

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チベット ヤルツァンポ川のダム

ヤルツァンポ川は、チベット極西部、カイラス山から流れ出ているとされる大河です。チベット高原を横断しインド、ミャンマー国境付近で南に折れインド、バングラデシュを経由してベンガル湾に注ぎます。

 

昨年、その川に中国政府がダムを作り発電を始めました。当然下流のインド、バングラは影響を受けざるを得ません。インド、中国の探りあい、にらみ合いは続くでしょう。

写真はヤルツァンポ川の渡し舟。

 

 

関連ニュース:http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4603?page=1

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シムシメパニマ

シムシメパニはネパール語。パニは雨のこと。初夏にふる霧雨のような恵みの雨。結婚前の男女の間柄のたとえにも使われる言葉です。

2001年に、ネパール・サンク村エバーグリーン校の10~16歳の生徒たちを招聘しました。道内数箇所で音楽舞踊公演をやりました。その中の一曲がシムシメパニマでした。ちょっかいをかける青年、それをいなす娘の掛け合いを、12歳の女の子たちがやけに色っぽく踊っていたのを思い出します^^ その女の子たちももう20代。お母さんになった子もいます。 ↓youtubeでも聴けますよ。

Simsimey pani ma - Nepali Folk Song (नेपाली लोक गित): http://t.co/dJ2mFNcY5W


写真は、その時の舞台衣装。

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