2011年7~12月


平岸のドイチャン珈琲!!No.2

オレンジ色の看板
オレンジ色の看板

窓をしばらく開けていません。札幌は冬になりました。夏場は、何日かおきに、ここ札幌の平岸界隈に漂ってくる珈琲焙煎の香りも、窓を閉ざした部屋には届いてくれません。

 

今年の夏、意外なところで再会したドイチャン珈琲。その後ごぶさたでしたが、先月、再び焙煎屋さんを訪ねてみました。実は、前回この店で買い求めたドイチャン珈琲・・・今年2月チェンマイで味わったあの感激は、残念ながらなかったのです。まあ、淹れ方などもあると思うし、、、、6000kmも旅してきたら豆も疲れるのでしょうが。せっかくの再会なので、なんとかうまく淹れてみたいんですけれど。

 

チェンマイでは、ドイチャン珈琲は、繁華街にしゃれた雰囲気のcoffee shopを出してます。このコースターはそのshopのものです。でも、しけたネットショップで想定外に出されたドイチャン珈琲の方がウマかった・・。ところで、ドイチャンのドイは山、チャンは象です。象の形をした山の麓がふるさとということです。

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ブータン 幸せの国作りのために避けられないこと??

ブータン国王夫妻
ブータン国王夫妻

国民総幸福量という考え方で、幸せの国のイメージが強い国ブータン。

 

でも、1980年代から90年代にネパール系ブータン人を追放し、その上に、現在のブータン国70万人の幸せがある、、、ということも一緒に考えた方がいいですね。どこの国もやってきた、やっていることです。つまり、そういうことをしなければ成立しないのが「国」なんでしょうね。

 

ブータンが幸せの国を謳うのならば、幸せの国を作るために、なぜそういうことをしなければならなかったか、、ということも伝えるべき。それでなければ、民族浄化を進めている国と同じです。

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中国の人は、ネパールビザが要らなくなった

ネパールのビザ
ネパールのビザ

もう一年以上前のニュースです。中国観光客はネパールに入国するビザが要らなくなったとのことです。日本人含めた外国人は$30(うろ覚え)くらいのビザが必要です。

 

これまでネパールは、チベット難民、ブータン難民を実に鷹揚に受け入れ難民村の場所を提供してきました。ヒマラヤを越えて亡命してきたチベット人たちは、ネパールにたどり着いて心身ともに一休みできた後、難民村やインドのダラムサラに向かいます。ところがここのところ、ネパール政府は亡命チベット人を中国政府に送り返すようになりました。今までの鷹揚でやさしいネパール人たちはどこへ行ってしまったのか??

 

ネパールの王制が崩壊してから、ネパールと中国はどんどん仲良しになっています。

以下、China Radio International.CRI(中国の放送局) のインターネットニュースです。

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中国、ネパールと国境観光の協力覚書に調印

2010-09-15

 中国(チベット)-ネパール観光連合委員会の第4回会議が14日午前、チベットの省都ラサで開催されました。

 双方は開会中、国境観光の管理、ネパールを訪問する中国籍観光客の査証免除、ネパールの首都カトマンズと中国チベットの省都ラサを結ぶ路線の回復、中国・ネパールの促進年などに関する覚書に調印しました。(万、丹羽) http://japanese.cri.cn/881/2010/09/15/144s163883.htm

 

 

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平岸のドイチャン珈琲!!

平岸のドイチャン珈琲100gの袋
平岸のドイチャン珈琲100gの袋

サパナの事務所は札幌の平岸というところにあります。その近所の小路にひっそりと怪しく珈琲焙煎店があります。そこの焙煎の香りが何日かおきに、平岸全体に漂ようので、以前から気になっていました。で、2週間前 豆もなくなったことだしな、高いかも知れないけどな、、、と入ってみました。飾りっけのない店でしたが、棚に20種類くらいの豆がずらりと並べられていて、びっくり。暗い性格の感じのマスターが、「珍しいところでは、タイの珈琲なんてのもあるんですよ」と教えてくれたのは、なんとドイチャン珈琲!!ドイチャン珈琲は北タイで栽培されている珈琲で、以前このブログでも書いたものです。

 

思い起こせば今年の2月、チェンマイのホテル前のインターネットショップで珈琲を注文しました。インスタントコーヒーを予想していた私は、出てきた珈琲を一口飲んで、う・うなってしまったのです。う・うますぎる。札幌のM越屋珈琲とか珈琲サカンとか何百円もする珈琲よりはるかに旨い!これがタイ珈琲 ドイチャンとの衝撃的な出会いでした。ちなみにドイは山という意味なので、チャン山の珈琲という、ちょっと情けない感じの名前なんですが。

 

で、平岸のドイチャン珈琲はどうだったのか?ま、それはいずれ。

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シッキム・ネパール・チベット地震

バクタプール(産経ニュースより)
バクタプール(産経ニュースより)

おととい夜の地震でネパール バクタープールにも被害が出ています。先日のブログで坂の町小樽のことを書きながら、バクタプールのことを思い出していました。小さな丘の上にひろがった町で、傾斜地に密集するレンガの建物の隙間を迷路の坂道が巡っています。小樽とバクタプール、町の歴史の長さはとんでもなく違いますが、坂道のそこここにある、居心地のいい空間は共通しています。初めてこの町を訪れた時みた街並みのレンガは、まるで、時間を焼いて作ったもののように見えました。1930年代にあった大地震では、バクタプール周辺も大きな被害を受け、ドイツ、フランスの援助を受け修復されました。今回の地震でもここに被害が出たようですが、世界遺産の町とは言え、住宅を復元することはたぶんできないでしょう。あの坂道の住宅景観がまた変わってしまうのは、残念・・ 産経ニュース

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10年前の 9・11同時多発テロ 東ネパール イラム

イラムを望む
イラムを望む

ネパールの首都カトマンズから、空路でインド国境に近いバトラプールに降りました。まっ平らなタライ平野から北に向かってジープで山と谷を超え5時間、やっとイラムの町が見える丘に着いたのはもう夕方。深い谷からは雲が湧き、その向こうの尾根にイラムの町が望めました。そこからジープはもう一度深い谷の底に降り、またつづら折りの泥道を何度も何度も曲がって登り、やっとの思いでイラムの町にたどり着きました。もう10年も前、2001年9月11日のことでした。枝さんとプラカスとの三人で行った、初めての東ネパール、イラムの旅です。続きを読む

イラムの町
イラムの町

1万数千人が暮らす、尾根づたいの町イラム。1996年から始まったマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)の活動は、イラムも拠点になっていました。贅沢を禁じるマオイストの指示で酒の販売も禁止され、町の食堂でも表向きには出してくれませんでした。いちおう^^

 

東電OL殺人事件の犯人としてゴビンダ・プラサド・マイナリさんに無期懲役の刑が下されたのは、2000年12月のこと。彼はここイラムの出身です。私達が訪れたころ、残された家族はこの町でつらい日々を送っていたのです。奇しくも今日2011年9月12日、支援者の力で来日した、彼の妻と親族が拘留中のゴビンダさんと面会しました。

望遠レンズで覗く茶畑で働く人影
望遠レンズで覗く茶畑で働く人影

イラムは観光地ではありませんが、紅茶の好きな人はこの地名を聞いたことがあるかも知れません。ここから東に15kmほど行くとインド国境があり、インド側には紅茶で名高いダージリン地域があります。イラム、ダージリンとも冷涼な、紅茶栽培に適した山地で、英国企業によって開発されました。イラム地域では、あらゆる斜面が茶畑にされていて、転げ落ちそうなほど急こう配の茶畑もあります。望遠レンズで覗いてみると、もこもこの茶の木の中に、そろりそろりと動く人影が見えます。

茶畑を背に姉と弟
茶畑を背に姉と弟

この地域の民族はライ族、リンブー族などの中間山地民族です。イラム近郊の村には、「ライ、リンブーの差別反対」という看板が掲げられていました。ネパール東北部に住むライ、リンブーの人たちは、シェルパ族のように商才に恵まれていなかったため、生活は貧しく他民族から差別を受けている人々です。チベット系の民族なので、シェルパ族同様、日本人とよく似た人々です。

馬の荷運び
馬の荷運び

イラムでは、カトマンズやポカラでは見られない、馬による荷運びが行われていました。私が行ったことのあるネパール国内では、アンナプルナ山群北側のチベット文化圏、ムクチナートでも馬が使われていました。またネパール国外では、中国雲南省北西部のチベット文化圏、梅里雪山山麓の地域でも同様でした。馬の荷運びの様子から見ると、イラムもチベット文化圏と言えるのかも知れません。今度行く機会があれば、馬に聞いてみようと思います。馬耳東風か^^

ヒンズー教の祈り1
ヒンズー教の祈り1

その夜9時ころ、イラムの町をぶらぶらし紅茶屋などをひやかしていると、合唱が聞こえてきました。その建物を覗いてみると、子ども、大人合わせて20人くらいがぎっしりと部屋の中で、テンポの良い祈りの歌を合唱していました。出入り口まで人が立っていて、肩越しに中を覗いてみると、壁にはヒンズーの神々が祀られています。ハルモニウム(置き型アコーディオン)とカスタネットのような楽器の伴奏で、合唱が続いていました。カトマンズ周辺では聞いたことのない、明るくのりの良い歌でした。やはり、途上国ほど中央と地方との違いがはっきりと感じられます。

ヒンズー教の祈り2
ヒンズー教の祈り2

歌の後のお祈りが終わると、新聞にくるんだ果物やお菓子が配られ、私達、旅人三人にも、神様のご加護があるであろう、その包みが手渡されました。ここに集まった人たちからは、純粋な信仰が感じられ、日本での新興宗教系の、勧誘の下心、、というものは微塵も感じられず、快くその包みを受け取りました。しかし、ロッジへの帰り道、枝さんは神様からの包みを捨ててしまいました。その夜から、彼は神様の容赦ない仕打ちを受け、帰国するまで激しく腹を壊すこととなりました。

翌朝9/12、ロッジの粗末な食堂に行くと、係のおじちゃんとおばちゃんが白黒14インチテレビをじっと眺めていました。小さな画面には高層ビルから黒煙が上がり、人影がハラハラと落ち飛び散っていく様子が写っています。映画のような映像の上下にはCNNの帯があり、それが映画ではなく現実のニュースであることが分かりました。何度も繰り返される映像に、おばちゃんが飽きたところで朝食を頼みました。ネパールの山奥、イラムの安宿に流れるニュースに全く現実感を持てないまま、大国の一大事にも無関係な、質素でのどかな朝食が始まりました。テレビは世界・株急落のニュースとなり、見たこともないような日本の株価も映し出されていました。

2001年は、ネパール王族殺人事件で王位を得たギャネンドラが、時代錯誤の専制国政を企て、その結果、2008年に王制を崩壊させるに至った初年と言える年です。この2001年は、USAにとっても極小国ネパールにとっても、国の行方が大きく変わった重要な年となりました。その瞬間と言える2001年9月11日に、世界の動きと隔絶されたイラムにいたことは、10年を経た今でも、とても奇妙な想い出として、深く残っています。


9・11アメリカ同時多発テロ事件発生時刻

米国時間    2011年9月11日8:46

ネパール時間 2011年9月11日19:31

日本時間    2011年9月11日22:46

 

カトマンズからイラムへ
カトマンズからイラムへ
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小樽の坂道をずいぶん歩いた,その他

2003年の小樽の坂道
2003年の小樽の坂道

小樽の町と坂道を初めて歩いたのは、もう30年以上も前のこと。当時、北一硝子はまだ小さな硝子屋、寂れた運河の水面には、色あせた倉庫や工場が澱んで写っていました。多くの住宅は板壁で、雪の日にはその壁の黒さが増し、幻想的な街並みになりました。そのモノトーンの風景の中、迷路の坂道を、どこを進んでいるのかわからないまま歩き続けたものです。今はほとんどの住宅の壁がサイディングになってしまい、坂道は変わらないけれども、そこをたどる面白さはかなり変わってしまいました。・・・それでも、先週久しぶりに散策してみて、この町にはやはり人が住むための空間があることを感じました。

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小樽をあるいた

小樽、運画沿い倉庫、札幌軟石の壁
小樽、運画沿い倉庫、札幌軟石の壁

先週、遠来の友と小樽を歩きました。南小樽駅で降りて坂道を下り海陽亭に立ち寄って、北一ホールのランプ群の下でビール!良い気分で北一ホールの裏に出ると、観光客通り。でも、大震災、原発事故の影響で観光客は大幅に減っていました。観光客通りを少しだけ経由して、山側に歩き出すと、あっと言う間に人の気配が消えてしまいます。そこは水天宮の麓にあたる急傾斜の住宅街。曲がりくねった坂道からは、海が見えたり隠れたり、小樽にいることを実感するひと時です。水天宮には外人坂から登りました。かなりな急傾斜の石段・・・この坂の脇には、小樽に支店のあったドイツの会社に勤める、ドイツ人家族が住んでいたそうです。戦前から戦後にかけて、小樽が栄え、衰退していった時期のことです。

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政治があわない国

祭りの団結力はピカイチ!(パタン山車祭り)
祭りの団結力はピカイチ!(パタン山車祭り)

ネパールは2008年に王制が倒されて、連邦共和国になる・・はずだったんですが、新しい憲法を決められないまま、ずるずると3年たちました。それ以前も半年ごとに政権がころころ変わる状態だったので、相変わらずの状態、、ということなんですが・・・。数日前も、首相が辞任しました。

 

ネパールのお祭りでは、完全に口伝えだけで、ものすごい数の人間が祭りを動かしていきます。警備なし、書類なし、無線なし、、、どうしてこんなにたくさんの人間が、口先指示だけでこんな大規模のイベントを動かせるんだっ!!!本当に感動ものです。

 

祭りはきちんと動くが、政治は動かない。・・・ネパールは、先進国のような政治体制が合わないのだ、そういうものを真似しないで、自分らに合ったやり方にした方がいいのでは、、と思います。この国は大きな行事から個人の人生まで、かなりの部分が星占いで決められています。星占いには素直に従うが、あの議員には従えないというのなら、議会も星占いでやった方がいいんじゃないでしょうかネ。3年間、憲法、議会がなくてもやってこれたんだし。

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星野道夫

写真展
写真展

きのう8/8は星野道夫さんが亡くなった日でした。

7-8年前、知人が星野道夫さんについて色々と語ってくれて、それに押されて本、写真集を手にとって見ました。じーっと見入ってしまう写真の数々でした。そんな写真体験はそれまで、あまりなかったですね。本も読んでみて、写真とは全く別世界の完成された文章に驚きました。それから間もなく、2005年、色々な巡り合わせで星野直子さんの講演会、道夫さんの写真展を主催することになりました。星野直子さんは、星野道夫の伝道者・・・と心底思わせられる方でした。

 

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タイからブッダがやってきた!

ブッダ坐像
ブッダ坐像

タイからブッダが やってきました!

ブッダは2500年前、ネパールルンビニに生まれました。30代でインド ブッダガヤで悟りを開き、80年の生涯を閉じるまでに弟子たちに教えた事が、後の仏教の原点となりました。その教えはブッダ没後、インドの多くの地域を統治したアショーカ王により広められました。その教えはヒマラヤの北側に伝わった北伝仏教(北電ではない!)と、南側に伝わった南伝仏教に分けられます。南伝仏教はブッダの教えに近いと言われ、戒律もより厳格なもので、スリランカ(セイロン)からビルマ、シャム(タイ)、東南アジアへと伝わりました。タイは仏教国として、日本でもよく知られています。空港のコンビニのお姉さんも、お金を払うと合掌するので、びっくりした方も多いと思います。

仏教国タイは当然仏具の制作に携わる職人も多くいます。チェンマイ在の知人が、そんなブッダの像を送ってくれました。高さ2cm足らずのブッダ坐像なんですが、写真に撮ってみると、細かく作られていて驚きました!特に、閉じているのか開いているのか、わからない(怪しい)眼差しがとてもよく表現されていて、見入りました・・・

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中国はどうしたんだ?

遺族の抗議行動
遺族の抗議行動

中国の鉄道事故、今日 当局が設計のミスを認めたというニュースがでました。遺族の抗議行動の様子も報道されてますが、抗議行動できること自体にもおどろきましたが。。。今までの中国のやり方のように、この事件をもみ消せない背景は何なんでしょうか?

遺族に有力者がいたのだろうか??という疑問もわきます。

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東電OL殺人事件 再審か?

この本、数年前に読みました。1997年に起きた事件です。その時は東電というのは地下鉄の会社か?と思ってました(~_~;)。東電の美人OL(と言ってもエリート役職だった)が、毎夜、売春婦となり、客のネパール人に殺された。というかなり話題性のあるニュースでした。直接の証拠がなく冤罪と言われながら、ネパール人の死刑が確定しました。でも今日のネットニュースによると、新たな証拠がみつかり再審の可能性が出てきた、ということです。海外からの出稼ぎ労働者はたいへん立場が弱いですから、冤罪支援者はいましたが、覆らないだろうなと思ってましたが。ちなみに、2005年に開催した元在ネ大使の講演では、海外からネパールへの出稼ぎ送金額は年間2000億円を超える!、とのことでした。途上国は、海外出稼ぎで経済を作っていかなければならないのが現実なんですね。

 

私が初めてネパールに行ったのは1996年12月。この事件は1997年3月8日に起きました。私の誕生日です。関係ないですけど。

続編も出ています
続編も出ています
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香菜子のなまらないと

毎週土曜日20:30からはHBCラジオ「香菜子のなまらないと」です!津軽出身の香菜子アナが、津軽弁で語る、、いや、しゃべくるトーク番組です。なんと心地よい響きの言葉。どうしてこんなになごんじゃうのか、、津軽弁の響き。思わず録音してしまいましたが、ラジオ番組を録音したなんてのは30数年ぶりか・・・

 

ネパールや北タイで感じるものが、探してるものが、こんな近くにもあったのかもです。もうヒマラヤ圏に行く必要はなくなりました。今日から「津軽圏サパナ」に衣替えです!(~_~;)

 

道内の人、ぜひ聞いてみてくださいね!

(みうら)

 

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YMCAとネパールの結婚式

ネパールの花嫁
ネパールの花嫁

札幌のYMCAで、国際人間学という授業を行いました。ヒマラヤの成り立ちとその周辺の民族についてがテーマですが、今回は、ネパールの結婚式の話をしました。ネパールの結婚式は、モンスーン=農繁期が済んだ、12月と2,3月に行われます。ホテルのスケジュールではなく、モンスーンのスケジュールで行われる結婚式。また、親、家族と精神的に別れる儀式としての結婚式。・・・学生さんたちは、まだ行ったこともない国の映像を見て、異常か!??とも思える花嫁の泣き姿や映像に驚いたようです。担当の先生によれば、日本との幸せ感の違いを感じた、、、現地に行ってみたい、、というような感想があったそうです。今の日本。その価値基準が世界共通ではない、ということを感じてもらう機会になったとすれば、うれしいことです。

学生さんたちは、大卒後に再入学した人、複数の職を経て入学した人など、俗に言うストレートではない歩みをしている人たちが半数以上でした。ごく普通のルートを歩いていない、彼らにしか見えないものがあります。期待しています。

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ネパール軍はコレラの発生源!?

ネパールの共同水道
ネパールの共同水道

ハイチにPKO(国連平和維持活動)で行ったネパール軍が、「コレラの発生源だ!」と疑いをかけられてます。

ニュースはこちら

アメリカ疾病対策センターが発表したものですが、宿営地のそばの川が発生源で、ネパール軍がいたころに発生した、、という推測のようですが。

ネパールはエベレストがあるので、知名度は高い国ですが、国力は極めて小さな国です。こういう報告を聞くと、弱い者のせいにしてしまえ!という国の心理がよく見えるような気がします。・・そういえば、ネパール語教室に来てた人が20年くらい前、ネパールから帰国後コレラ感染がわかり、隔離された、という恐ろしい話をしてくれたことがあります。・・あ、こんなこと書くと、ネパール軍への疑いがさらに強まってしまうか・・

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